東京の繁華街にあるギリシャの村
木曜日の十九時半。西荻窪駅の南口を出ると、そこには戦後栄え始めたレストラン、バー、居酒屋がたくさんある。平日にもかかわらず、たくさんの人がグラス片手に西荻窪の夜を楽しんでいた。そんな南口周辺の小路の一本である柳小路も戦後から栄えた場所である。タイ、バングラデッシュ、韓国などなど、国際色豊かな店が軒を連ねている。
去年の冬、この柳小路に新しくギリシャ料理店ができた。「ギリシャ小町三丁目」である。地中海の村のものと東京のものを融合させた料理が供されている。店に入ると、ここを経営している夫婦、クリスさんとサヤさんがにこやかに二階の部屋へと案内してくれた。とても急で狭い階段を上がると、夜の西荻窪の繁華街を冒険していたわたしたちは小さなギリシャの居酒屋にたどり着いた。
ギリシャから来日したクリスさんは二十七歳。この店の所有者だ。ギリシャではウェイター、バリスタ、シェフ、バーテンダーなど、食に関する仕事をしてきた。クリスさんは日本に旅行でやって来たときに、長いこと中央線沿いでレストランやバーを経営している幼馴染のウダガワさんと、奥さんのサヤさんと会った。そしてクリスさんもこのビジネスに参加することになった。サヤさんとウダガワさんご夫婦のビジネスは、新宿でオーガニックバーの経営からスタートした。その三年後、阿佐ヶ谷に引っ越し、同じくオーガニックバーをオープン。三鷹に引っ越すまでの七年間そこで営業していた。
クリスさん、サヤさんとウダガワさんは2015年に最初のギリシャレストランを三鷹台にオープンした。しかし、2017年には西荻窪に移転した。クリスさん曰く、
「三鷹台はご年配の方が多く、店をオープンするにあたってあまり魅力的に見えなかった。友達が来やすいように駅の近くに店を持ちたかったのです。あと、わたしも買い物や他のビジネスをやりくりするには駅に近い方が便利だと思いました。お客さんも駅の近くの方が簡単に来れます。店に来るためだけにバスに乗るのはちょっとめんどくさいかなって。なので、こっちに引っ越して、東京にはあまりないギリシャ料理店をオープンすることにしました。」
青い屋根に白い壁、大きなギリシャの国旗。柳小路にひときわ目立つギリシャ小町三丁目。一階は青く染まったバーカウンターに白い壁。とても心地のいい空間だ。ギリシャでよく見られる花、ブーゲンビリアの絵はクリスさん自身が描き、ギリシャの景色を彷彿させられる。二階の壁一面にはギリシャの村の風景が描かれている。そして、ギリシャによく見られるレモングラスやブドウが部屋のいたるところに飾られ、まるでギリシャにいるような空間をつくりだしている。
「ギリシャの雰囲気を作りたかったので白や青色でギリシャ島を連想されるようにしました。あとレモンの木やブドウの飾り付けをしました。この絵はギリシャでよく見られる白とグレーの石でできた階段です。」
クリスさんがお店を開店する前、この場所はスナックだった。柳小路の他の場所同様、店はとても狭い。大勢で来るのはまず不可能だ。階段はとても急で、のぼるときは梯子をのぼるようで、頭を天井にぶつけないよう気をつけなくてはならない。こんな狭苦しく小さな場所でもクリスさんが描いた絵ひとつでギリシャの村の空間を体験できるのである。しかし、狭い空間の利点もある。お客とクリスさんは親密な会話を楽しむことができるのだ。
東京ではあまり見かけないギリシャ料理店。
「お客の多くはギリシャの懐かしさを求めている人やギリシャレストランを見たことがなくて、ギリシャのことに興味を持っている人たちです。東京ではギリシャレストランはとても少ないです。ギリシャ料理店の存在のことに驚いて、もっと知りたい気持ちで入ってくる人も多いです。」
とクリスさんは語った。
クリスさんも、このお客たちの想いを共感できるはずだ。ギリシャに住んでいるとき、彼は遠い異国の地、日本に興味を持ち、旅することにした。そのことについて、クリスさんはこう語った。
「とても素晴らしかったです。初めて来たとき、ヨーロッパと全く違っていたのでカルチャーショックを受けました。初めて来たのは2013年で三週間観光しました。とても楽しかったです。人生の中で一番いい経験をしました。東京にのみ滞在をし、ちゃんとした計画がなかったのでみんながお勧めしてくれるところに行きました。周りに『次はどこに行けばいい』と聞き、みんなが教えてくれた浅草や渋谷、六本木などに行きました。」
クリスさんは、ギリシャと全く違った日本人の行動にも驚いたそうだ。
「地下鉄に乗るだけで日本人の丁寧な性格がわかる。みんなルールを守り、静かにしている。とってもリッラクスでき、周りの人が原因でストレスを感じない。本当は日本人も心の奥底ではストレスを感じているのかもしれないが、みんな静かでぼくも落ち着ける。電車の中でいろんなことを考え、観察し、楽しめる。ギリシャではこんな雰囲気は味わえない。ここ日本でバスに乗るときは、普通に座り、外の景色を見ながら目的地へと行ける。ギリシャでは三人ぐらいの見知らぬ人が急に政治的な会話をしはじめる。ギリシャの人はとてもうるさいです。外に出るだけで大冒険です。ギリシャ人は対立するのが好きです。日本人とは違います。日本では落ち込んだことはないです。ギリシャ人は暗い人が多いです。重い心理をどこにでも持って行きます。日本人は一見、会社での働く様子などを見ていると機械みたいに見えるかもしれない。しかしぼくには日本人は休日になると明るく振舞っているように見える。東京にはいろんな楽しめる場所がありますし。」
クリスさんは現在、ギリシャ小町三丁目に来店するお客との時間をとても楽しんでいる。
「(お客とは)とても親しみやすい雰囲気で話しています。お客さんの下の名前も知っています。楽しい時間を一緒に過ごし、友達になります。ギリシャの話や個人的な話をします。彼らもぼくがなぜ日本でこういうことをしているか興味を持ってくれます。彼らも自分のことを話し始め、そこから友情が芽生えます。」
ギリシャ小町三丁目にくるお客との会話は落ち着いていて、親しみやすい雰囲気とクリスさんは言っている。それは日本人が相手に明るく振る舞えるからだとクリスさんは語った。
「日本人はとても優しくて思いやりがあると思う。色んなことを褒めてもらえます。ギリシャ人はまるで趣味ででもあるかのようにずっと文句を言い続けています。ギリシャ人は物事をはっきりと重く言います。ずっと仕事の文句を言い続けます。自分が興味のあることだけ話します。でも日本人は落ち着いて、相手の話を聞いて学ぼうとします。あまり自分の意見は言わないです。他の人の意見を聞きます。」
我々の多くは、「地中海での暮らしは優雅でリラックスできる生活」という固定観念を持っているだろう。しかし、クリスさんにとっては、ギリシャでの労働より日本での暮らしの方がもっと落ち着けるという。
「(日本では)あまりストレスはないです。ギリシャではストレスがありましたが、日本に来てから思考が変わりました。もうストレスはないです。仕事が嫌でストレスを感じたら、辞めて、違う仕事を探せばいい。ぼくはこの仕事、友達、環境がとても好きで、すごく楽しんでいる。」
ギリシャ小町三丁目に来店する好奇心旺盛で優しいお客達と同様、柳小路のご近所達も、とても優しく親しみやすいという。
「(お店同士の)対抗心とかないです。とても穏やかな環境です。みんなお互いのお店をお勧めし、お互いの料理を楽しみます。悪口など言う理由もなく、お互い、優しく接します。ここに来店したお客さんがお勧めのところを尋ねると、周りのお店を紹介します。」
国際色豊かなコミュニティー、 柳小路の一員として、クリスさんはコミュニティー月一の行事に参加している。各店が料理を外で売る行事だ。
「月の第三日曜日に小さいお祭りがあります。みんな外で料理をし、バーベーキューをしたり、自身の母国の料理をふるまったりする。多国籍な通りなので、沖縄、タイ、バングラデッシュ料理などがある。みんな、外で作った料理を買い、それをうちの店で食べたりします。毎月このようなお祭りがあります。ぼく自身もギリシャの行事を入れたりします。今の時期だとギリシャでは肉を食べません。魚や豆を食べます。でもちょっと変わっていると思うので、お客さんが楽しめるようぼくなりにアレンジします。クリスマスや、日本ではあまりお祝いしないイースターなど大きな祝日は、ギリシャ風にラム肉などでバーベーキューをします。」
クリスさんの目標は、この西荻窪のギリシャ料理店を通してお客に本場のギリシャ料理を食べてもらうことだ。この目標を実現するには、ギリシャの材料を使って料理することだとクリスさんは話す。
「本場の味とはギリシャ島の材料を使うことです。ぼくたちはファバ(乾燥そら豆)やサーディンを使ってサントリーニの料理を作ります。」
ギリシャ小町三丁目の料理には、オリーブオイル、レモン、チーズなどの材料がたくさん使われている。例えば、 メニューに「ギリシャの味」とうたわれているポテトフライは、潰したオリーブにレモンジュースで味付けしたペーストをのせている。また、ギリシャはフルーティーなワインで有名なので、日本では珍しいギリシャのワインをたくさん置いている。
本場のギリシャの味を作るためにクリスさんは日々努力を積み重ねている。しかし、これを実現するには日本ならではの壁に直面しなければならなかった。
「ギリシャ製品を日本に輸入するのはとても難しいです。ギリシャのレシピ通りに料理して本場の味を再現するのは極めて難しいです。その原因はギリシャ製品がとても高いからです。料理にはギリシャのチーズ、オリーブオイル、ハーブやスパイスなどを使いますが、これらは日本でなかなか手に入らないので輸入するか日本の材料で代替するしかありません。しかしぼくは本場のギリシャ料理を作りたいのです。」
例えばスタッフドカラマリ。この料理は本来ギリシャではカラマリの中にフェタチーズのみ詰めている。しかし、ここギリシャ小町三丁目では野菜や多種のチーズを詰めている。
「これはギリシャ島のレシピで、ギリシャではフェタチーズがぎっしり詰まっています。しかし、これを再現するのは日本では不可能です。ですので、違う種類のチーズや野菜で代替しています。味は少し日本風になってしまいます。100グラムのチーズは入れられません。日本ではチーズがとても高いのでできません。こんな高いチーズをたっぷり使っていたら、ぼくは一週間で店をたたまなくてはなりません。」
クリスさんは、より多くの日本人に本場のギリシャの味を提供するためには、ギリシャコミュニティーとギリシャ政府からのサポートが必要だと強く感じている。
「有利な貿易協定のあるトルコやイタリアと違って、日本へのギリシャ製品の輸入促進はまだまだだ。」
クリスさんはつぶやいた。
日本の文化と日本にいる人に対する強い好奇心とが、クリスさんを日本という異国の地で新しいアイディアを出し続ける若い事業主へと導いた。クリスさんの想いと小さな空き店舗が、柳小路に新しい一味を加えた。
お客が店を出るとき、クリスさんは優しくこう告げる。
「また来てください、今度は友達として。」
(吉山マリヤ、ファーラー・ジェームス、木村史子 6月19時日2018年)