西荻ラバーズフェス:町の人たちによる町作り
3月21日、西荻北の桃井原っぱ公園で「第一回西荻ラーバスフェス」が開催された。西荻エリアの店舗だけで約70店が出店した。
普段の祭りと違うのは、西荻コミュニティーメンバーが計画したフェスティバルであることだ。 実行委員会には、商店の店主だけでなく多くの地域住民も参加した。会場には、食べ物屋と物販の出店だけではなく、二つ設けられたステージで音楽のライブや、イラストレーター展も行われた。ライブ演奏したのは、テニスコーツさんや青葉市子さんなど西荻ゆかりのミュージシャン達だ。エレクトロニカ・ノイズバンドのマンモス・オーケストラと華やかなダンサーも登場した。初春の晴れた日曜日であったので、想像の何倍もの人達、何千人になるだろうか、…が桃井公園を訪れた。音楽を聞きながら食べ物屋の出店に長い行列を作っている人達もたくさんいたが、とにかく楽しかった。
今回のフェスティバルは西荻コミュニティーの新しい展開と言われるが、フェス開催の舵をにぎっていた西荻の案内所は、同月末、3月末になくなってしまう。3年間続いた「西荻案内所」は、ただの観光情報提供するだけではなく、今回のフェスを含め、いろいろなコミュニティー活動を開催して、西荻の活性化に大きな貢献をした。今案内所となっている古い建物は、今年壊される。とはいうものの、案内所を個人で始め、運営してきた奥秋夫婦は、一部の活動は続けるそうだ。案内所自体は無くなるけど、西荻観光マップを更新したり、イベントもやっていきたいとのこと。
案内所は最初駅前にある「茶舗あすか」というお茶屋の店主、渡邉恵子さん が、8年以上前から「駅前案内所」を名乗って、渡邊さんの豊かな町情報を来店するお客に伝えていた。渡邊さんはいつか、専門の案内所を作りたかった。そして、以前から西荻マップで協力していたデザイナーの奥秋圭さんと婦人奥秋亜矢さんがその「西荻案内所」をはじめたのだ。
奥秋圭さんは9年前西荻に引っ越してきた。 出身は山梨県富士吉田市。大学進学で東京に来た、転々として千葉の行徳に住んだ。「車好きが多いところ。文化圏が違う感じがした。車で走りに行くには便利なところなので。で、ちょっと違うなーと思い、中央線沿いがいいなと思った。最初、三鷹によさそうなのがあったが、諸事情でやめることになり、帰りに西荻に寄ったときにここに決めた。」
圭さんは、西荻に住んでいる。デザイナーとして働けるスペースも欲しかったので、駅から遠くてもかまわないということで、今住んでいるところに決めた。「そこには、物件を見に行ったときに大きな欅の木があって、その欅の木を見たときに、これだーと思った。行徳(以前の住まい)は埋め立て地なので古い木がない。富士吉田市(生まれ故郷)にはたくさん古い木があった。その日、欅の下でおばあちゃんが里芋をむいていた。明日の餅つきの準備をしていると言っていた。マンションの中で、大家さんの主催で、たき火をして餅つきをしている。それもいいなぁと思った。山梨にいたときも、そんな習慣はなかった。そのマンションにいまだに住んでいる。それが西荻に住み始めたきっかけ。」
西荻に住み始めた1年後には町情報誌「西荻丼」にかかわり始めて、そのまた1年後に二代目編集長になった。「その時に、104歳(当時99歳)のコーヒー店の安藤さんの記事を書いて、それをいろんな方が見てくれた。いろんな方が見てくださって、ぼくのことを知ってくれた。」
その頃、圭さんは「茶舗あすか」に出会った。「あすかさん」がやっているNPOは2007年に「街歩きマップ」を作っているが、その後、作る人がいなくて、更新されていなかった。「それで、ぼくがやるよ!ということで作り始めた。このマップができたタイミングで、あすかさんが『場所を見つけたよ!』ということで、ここでこの案内所をはじめることになった。」
その後、地図は西荻案内所の重要な仕事になった。地図の裏側の広告は広告費をもらい、それで刷っているので、これだけでpayしている。街歩きマップに載せたいと申し出てくる店は多いが、「街歩き」なので、全てを載せるというわけにはいかない。
奥秋圭さんによると、9年前の西荻は今ほどスタイリッシュなのイメージではなかったそうだ。「はじめた頃は、駅前はスタバもないし、もともと住んでいる人達からは『西荻はダメだ』的な空気感があった。でも、外から来た者としては、そんなことないじゃないか、と思った。」
今の西荻ブームは雑誌とテレビの散歩番組の影響が大きいが、西荻案内所の貢献もかなりあるだろう。 「西荻自体あまり変わっていないが、住んでいる人の感覚が変わってきた。雑誌などでもよく取り上げられているけど、ぼくたちは『西荻バブル』と呼んでいる。違和感がある人ももちろんいる。1回来ただけで、もう来ない人達もいるだろう。テレビなどで取り上げられると行列はできるが、その後、今まで来てくれていたお客さんが来なくなってしまうなどということもある。」
昔からある商店街の反応もさまざまなようだ。西荻は商店街だけでも23個ある。奥秋さんによると、それぞれの商店街の会長さんによって案内所の活動に対する反応も全然違うそうだ。「駅から近い商店街は盛り上がりやすいが、駅から離れた五日市街道あたりの商店街は反応がよくなかったりもする。西荻駅周辺が盛り上がってもうちは盛り上がらないし、めんどうなことだけ増える。チラシを配ってくれとか、お金を出してくれとか、そんな面倒なことだけが増えて、別にこちらに利益はない。…といった感じでしょうか。」
案内所は、商店街の補助金で、西荻の歴史から地理まで紹介する「西荻手帳」も作った。「消えない情報…歴史とか、野鳥観察とか、建物はなくなるかもしれないが、どんな作家さんが住んでいたとか、そんな情報をまとめた。」亜矢さんによると、「それぞれのジャンルにエキスパートがいるので、その方たちに応援を要請して、杉並建物応援団、野鳥の会の西村さん、文学散歩の会…など西荻で活動している団体にお願いした」そうだ。
西荻手帳に沿って「西荻検定試験」も開催している。合格するのは結構難しいようだが、西荻手帳をすみからすみまでしっかり勉強すれば大丈夫らしい。
奥秋亜矢さんが強く言いたいのは町の価値の多様性だ。「どういうおいしいお店があるとか、そんな話でメディアは終始する。そこだけで右往左往するのは嫌だし…西荻の価値をきちんとした形で出したいということ。」
奥秋さんたちの理想は 住民の力で町を生かすことだ。フェスもその例だ。
今回のフェスは商店街の名前で出ているが、ボランティアによって開催された。圭さん曰く、「ほとんどサラリーマンが中心で動いていて、平日で動けるのが案内所のぼくらで、今けっこう大変になってきている。イラストレーターさんはイラストレーターさんで、サラリーマンの方々は運営。ミュージシャンを呼んできたりとか。彼ら自身が何か物を売るっていうことじゃない。」
亜矢曰く、「自分の町で楽しみたいし、自分の町のお祭りを自主的に主体的にやりたい。お客さんじゃなくてこの町で暮らしているという実感が欲しい。昔からやっているお祭りだと、外から移住してきた人間はどうやって参加してもどうしてもお客さんになってしまう。」
フェスは西荻の人のため創造したものだが、観光客でも大丈夫。「排他的にはなりたくない。こんだけ楽しい西荻に遊びに来てということなので。西荻のいいものに出会ってほしいから、フェス会場に西荻のいいものをそろえておく。」
西荻案内所はなくなってしまうが、今後、どう活動していくのか。西荻ラバーズフェスは、今後どう成長していくのか。西荻人として、とても気になるところである。(ファーラー、木村、3月26日2016年)