人生経験によって燻された料理職人の三つのこだわり
「二郎は鮨の夢を見る」のような食通映画は、日本の料理職人達のある固定化されたイメージを世界に広めている。 長い見習い期間を経、食に精通した常連客から評価された、完璧主義の料理職人。 実際、非常に小規模な食職人たちの店が東京の食文化の特徴となっている。しかし、多くの場合、経営的に不安定である。 普通の料理職人が持つ料理店は映画のように厳格な環境ではない。西荻窪の「みつ志」を例にとってみよう。店の所有者、マネージャー、シェフ、ウェイター、 皿洗、そして実は最も大切な「食事を共にする仲間」といった、飲食店の全ての役割を一人が担っている。 この「みつ志」という店を見ていると、東京の料理職人の生活やキャリアといったものがうかがえてくる。そしてここには、「コミュニティとしても空間」も見えてくる。
西荻窪南口の小道をピンクの象を上に眺めながら5分ほど歩くと、スタンドシンポ、Re:gendo、ソーヤーカフェなどのこじゃれた人気店がある路地がある。燻製ビストロ「みつ志」はこの路地の、三つのお店が入った建物の中の一つのちいさな店だ。
店主は相原剛さん。仕入れから料理まで、全て一人で店をきりもりしている。
相原さんは、みつ志を始めるまでの30年、ずっと食の仕事に携わってきた。最初はコックとして、香川県のフレンチレストランで勤め、その後は福岡に行き、またフレンチのコックをしていたそうだ。
「福岡でコックをしていたときに、テイクアウトの事業に興味を持つようになり、そのときにたまたま百貨店関係の人と知り合いになって、東京のデパ地下商品の開発の仕事の話があったんです。それから福岡から東京へ来て、商品開発・企画の仕事を15年やりました。」
「百貨店で働いたわけではなく、百貨店でお店を展開している企業さん何社かと契約していました。百貨店さんは、北海道から九州までの百貨店さんでした。百貨店の中に商品を入れたり、百貨店の中で調理したりする商品の企画開発をしていた。商品は地域限定とか、ショップ限定とか、全国とか、いろいろでしたよ。お惣菜とか洋食とかカレーとか…いろいろやりました。」
燻製料理はそのときの企画で考えたものなのかと思い、尋ねてみると、
「燻製料理は、香川県でフレンチレストランの三年目でオードブルを担当するようになって、その時に燻製をたくさんやりました。野菜やお肉や子羊や魚やいろんなものを燻製にしましたね。その当時フランス帰りのボスがいたんですが…、今はキットが売られていたり、インターネットでたくさん情報もありますが、その当時は情報がなくて、道具もどこで買っていいかわからず、フランス帰りのシェフに、フランス語で書かれた燻製のレシピ本をポンと渡されて、『これをやれ』、と(笑)。教えてもらえないし。フランス語が分からないので、それを訳すところからはじめて。けっこう苦労して作ってもうまくいかなかったりしてね。昔はね…(笑)。」
笑いながら話す相原さんの様子から、たぶんシェフからそうとうこっぴどくやられたりしていたのだろうと感じた。
「今はね、問題になりますけど、昔は当たり前。二十七年くらい前。二十代でした。」
企業での仕事は安定していたようだが、どうして退職してお店を持とうと思ったのだろうか。
「定年退職までずっと企業で仕事をして店をつくることも考えましたが、自分でお客さんと面と向かってやる、こういった小さいお店をやりたいと考えていたので、いちおう、元気なうちにということで(笑)。五十歳をめどに将来設計をしていて、ぎりぎり四十九歳のとき(2015年)に始めました。今年(2016年)四月に五十歳になりました。」
香川や福岡で店の経験をし、全国の百貨店と仕事をした相原さん。どうしてわざわざ西荻窪を選んで店を出したのだろうか。
「どうして西荻にしたかというと、わたし一人で十席未満の店で、と考えて、何を売りにするかといろいろアイデアがあったんだけど、下積み時代に苦労した燻製をいつか生かしたいと思っていたんですが、福岡のレストランやデパ地下の食材ではなかなかそれを活かすチャンスがなかったんですよね。じゃあ、燻製のお店を自分でつくろうと思ったんです。で、小さくて個性的なお店をつくろうと思って。じゃあ、どこでやろうかと考えたときに、西荻って小さくて個性的なお店が集まっている。店主一人の店もたくさんある。なので、こんなお店を理解してくれる人もたくさんいるだろうし、じゃあ西荻で、と思ったんです。それに、東京に来てずっと杉並に住んでいたのもありますね。高井戸西なので、自転車で10分くらい。」
「最初から西荻に決めていたのではなくて、中央線や井の頭沿線など候補地を見て回ったんですが、あるときから『西荻だな』と思ったんです。個性的な小さなお店が集まっているので。」
しかし、不動屋にこのぐらいの大きさで、西荻でと伝えたが、なかなか空きがないですよと言われたそうだ。空きがあっても、11組応募があるから難しいですよとか言われ、案の定だめだということもあり、ちょっと無理かもと思いはじめた半年後、たまたまここを紹介してもらったそうだ。その後、以前は寿司屋だったここの店舗を居抜きで新店舗にしている。
みつ志の客は、八~九割は西荻住人。この路地にあるシンポやRe:gendoなどの人気店に来たお客さんが、前を通って「新しいお店ができたね~」と入ってきたりするそうだ。
「何の宣伝もしなかったんですが、ぽつぽつとお客さんが来ました。看板だけです。」
常連客達がつく、この店のこだわりをきいてみた。
「素材と煙と一仕事(ひとしごと)。三つの志(こころざし)でみつ志です。『素材』は地元の杉並のお野菜だったり、ポークは四国の香川小豆島のオリーブも食べて育ったオリーブ夢豚だったり、お魚は相模湾から直送で、漁業関係者から送ってもらって。おいしい素材を集めて、『煙をまとわせ』て、それをただ切って並べるだけではなく、『ひと手間かけて料理して出す』というコンセプトやっています。」
「野菜は杉並の畑でお自分で採っています。買う時もあります。年中いろんなものがあるわけじゃないので。畑と契約等大げさなものではないんですが、近所だったり、近所の方に紹介してもらったところで採らせてもらっています。ちょっとトマトをもぎに行くとか(笑)。この時期だとズッキーニがおいしいですね。それを採りに行って、自転車で十分くらいでここに持ってこられるので、もちもいいし、新鮮で味もいい。農家さんも自分たちで食べるものを作っているので、変な農薬なども使ってなくて、安心というか…。」
「魚も全部じゃないけどほとんど仕入れています。相模湾の漁業関係者の人に電話でお願いして宅配便で送ってもらいます。肉は四国から送ってもらいます。こういったルートは百貨店関係の仕事をしていたころの関係業者さん。百貨店のときは何十トンとかいった単位ですが、こういった個人の…、ちっちゃな個人の店なので、小ロットでお願いできるところでお願いしています。なので、これだけ食材を揃えられるんです。」
企業時代に培った経験と関係が生かされて、おいしい食材を集められているのだ。
せっかくなので、燻製の材料や器具を見せていただいた。
「今日はりんごなどの軽めのチップで燻製しています。りんご、桜、ヒッコリー、ぶな、ピート。見た目は全部一緒なんですよ(笑)。」
「チップを加熱して燻製にします。ある程度燃やして、火を弱くして、燻します。ずっと強火だと燃えてしまいますので。」
本格的だが、お店が狭いので、燻製用の器具も小さい規模でやっているそうだ。
「保存のための、何時間も何日も燻製するものはやっていないですね。コンセプトにあるように『煙をまとわせて』、さっと香りをつけて提供しています。フレンチで勉強したので、洋風なスタイルがメインではあるんですが、和洋折衷でおいしく、わかりやすくといった感じに考えています。」
長年の夢であった店をやっている、今の気持ちはどうなのだろうか。
「個人でやるのは、難しいっていうか、会社もそうですけど、自分が責任感持ってやるっていのはそうなんですが、まさに個人のお店だときちっとやればきちっとやるだけ、わかりやすく言うと生活も楽になるでしょうけど、きちっとやらなければ、それこそ結果も出なくて生活もしていけない。むずかしいっていうのか…、一日一日が勝負ですよね。会社に勤めていてもそうですけどね。でも、会社に勤めていれば、休んでも給料もらえますからね。個人だと休んだらゼロですから。わたしも四月にぎっくり腰で休みましたが、収入はゼロですからね。」
営業時間は日にもよるが、昼一時ぐらいに来て、家に帰るのが一時~二時ぐらいだそうだ。週末などはもっと遅くなるそう。夜、十半過ぎてから店にやって来るお客も多いからだそうだ。
「決して飲み中心ではなく、メインは料理屋で、燻製ビストロとして始めたんです。料理に合うお酒を置いています。でも、実際はこういう町なので、一件目ここで食事をして…というお客さんもいますし、二件目三件目でここに来てつまみと…、というお客さんもいます。ほんとうにはしご文化ですね。」
「一件目、二人でここに来て、また五件目でここに別の人と戻ってきて、というお客さんもいましたね。最初は紳士だったのに、五件目で戻って来たときは人が変わっていて…(笑)。おもしろいですよね。でも、わざわざ一日に二回来てくれて。ありがたいです。」
お客は四十代五十代が多い。ワインを飲む人が多いそうだ。普通に一人で来店するとのこと。
「店をはじめる前は四十~六十代の男性をターゲットにしようと思っていました。自分が男性が好きだからかもしれないけど。男性の大人の方たちと話をしながら…といったイメージがありました。積極的にこちらからお客さんと話をしたいし、と思っていましたね。」
しかし、ふたを開けてみたら、半分が女性客だった。
「昨日なんかはみんな女性一人のお客さんでした。西荻もしくは近場の方。お一人の方が多いですね。半分が一人。あとは二人。いろんなタイプのお客さんがいるので、話す人も話さない人もいます。話す人とはお話をします。ほとんどのお客さんが一人飲みに慣れていて、店主と話すのにも慣れている感じですね。お客同士でも話をしています。お店の情報交換をしていたりもします。あそこがいいよ、ここがいいよとか。」
最後に、オーナーのおすすめ料理をきいてみた。
「最初は盛り合わせですね。燻製卵サンドに魚のポタージュもいいですよ。オリーブ夢豚のソテーとか。燻製鯖サンドも、必ずそれを食べるお客さんもいます。燻製カルパッチョは高温で二分くらいさっと加熱して出します。〆に、や、はしごして最後に、キャラメルのアイスクリーム、ここで作っている自家製のアイスクリームです。大人の味です。燻製したアーモンドがのっていて。これはワインに合うので、最後にワイン一杯とアイスクリームを食べて帰る人もいます。苦みが強いので辛口の赤ワインと合いますよ。」
小さなレストランを運営することで、より大きなコミュニティへのつながりも生まれる。相原さんは周りのお店とも良好な関係を保っているようだが、特に商店街に所属はしていないそうだ。だが、地域のイベントなどには参加している。
「神明通りの朝市には先月から出店しています。以前から声を掛けていただいていたので、先月から。テイクアウトのものです。先月はランチボックスと、杉並の農家さんの野菜を袋付けしてもらって、うちでも使っていますよ、ということで、アピールも兼ねて出しました。」
十月のある夜、レストラン自体がコミュニティスポットになりつつあると感じる場面に遭遇した。その日、みつ志では開店一周年のパーティーが行われた。 一周年を祝うために集まったのは、錚々たる面々。全国展開のレストランチェーンのマネージャーである常連客さんはケーキを用意し、 若い女性従業員を伴ってきていた。 紹興酒会社の代表を務める台湾系日本人女性客さんみつ志では彼女の会社の紹興酒も提供している。紹興酒はまだあまり知られていないが、薫製した食べ物と非常に相性がいい。 吉祥寺の大手レストランのオーナーも参加。パーティーに集まった面々の会話は、政治から遊び、そして将来の計画に至るまで、賑々しく盛り上がり広がっていった。 とはいえ、やはり最後は常に「食」という共通の話題に着地していく。 誰かが店を出るころには新しい面子が加わり、そして、あらたに話が盛り上がり、そしてまた新たな面子が加わり、そして…。
みつ志は、実は普段から何気なく日常として存在していた「食のコミュニティ」だったのだろう。だが、その夜、まさに「食のコミュニティの場」を濃密に凝縮した空間となり、その存在を強烈にわたしに知らしめたのだった。(ファーラー、木村、12月31日2016年)