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執筆者の写真James Farrer

店主がつくる人を繋ぐ空間

更新日:2023年9月16日



JR西荻窪の北口を左に出ると、歩行者、バス、車で込み合う伏見通り商店街。この通りに入り、連なる小型の雑貨屋、パン屋、飲食店を横目にしばらく進んでいき、私たちは外壁の一部が草木に覆われる木造の建物を目指す。多くの常連客に十数年慕われる、イトキチというワイン&ダイニングバーだ。ドアを開けると、オーナーの女性とお客が村上春樹小説について楽しそうに議論している真最中。店の窓際席に座る大きなサメと古いテディベアのぬいぐるみはどちらの肩を持つわけでもなく、ただ外の通りを見つめている。


「若い頃、村上春樹が大好きだったんですよ。」と女性オーナーの矢部さんは言う。「だけど、あるタイミングで彼からは卒業しました。」


大学で哲学を専攻し、今よりも男女格差が激しかったバブル時代から自分で道を拓いてきた彼女にとって、男性中心主義的な世界を描くとも言われている村上春樹作品に対しては懐疑的な部分があるようだ。彼の出版されたばかりの新作を待ち侘びていた村上春樹ファンのこのお客だが、矢部さんに笑いかける様子は彼女への圧倒的な信頼感を感じる。

イトキチのオーナーである矢部さんはなんでも自分の意見を隠したりしない。このフランクな雰囲気と中にひそめく彼女の知的さから生まれる会話は数多くのお客を虜にしてきた。


茨城県出身の矢部さんが、学生として東京へ上京し、西荻窪に住み始めたのは三十数年前である。

「大学に行くのに私、新聞奨学生だったんですよ。配属が希望が出せて、杉並区にちょっと行ってみたくて、全然土地勘とかなかったんですけど杉並区に住みたい、と。上井草に当時あった新聞の専売所に配属になって。一番近いJRの駅が西荻なんで、西荻に日々日々来るようになったのが最初です。」



日本の会社勤務を経て、料理の世界に飛び込む

今でこそイトキチで多くの常連をもつ矢部さんだが、料理の道へ進むことは本来予定していなかったことだと言う。きっかけは、会社員時代に感じた男女格差だったそう。


「バブル時代直後で、女の人っていうのは結婚して子供産んでっていうのがモデルケースだった時代なんですね。当時、男女の差っていうのはすごく大きくて、おかしくないか?と。不満があったんですね。仕事も楽しかったし、いい会社だったんですけど、この会社にいると、きっと思ったように仕事はできないだろうと思って。会社やめようって。転職しても無駄かなと当時思って。」


「じゃあ自分の力で、経営的な意味で、できる仕事をやりたいと思って。当時料理が趣味だったんで、自分でも得意だなと思ってたし、オーナーシェフってのがあるじゃん、と。なので、料理人になって自分のお店を持てばいいんだって思って何を間違えたか六年間勤めてた会社を辞めて、98年にこの道に入りました。」


会社を辞め、料理の世界へ飛び込むことを決めた矢部さん。大学生時代、ワーキングホリデーでオーストラリアへ行ったこともあり、海外で料理を学ぶことが頭にあった。

「辞めてすぐに、貯金したお金とかでヨーロッパに行って。どんな料理やりたいかとかもうちょっと自分で考えようと。それで色んなところで色んなものを食べて、やっぱり勉強するならフランス料理か和食だなと思って、帰ってきてすぐ就職活動始めたんですけど。“未経験”、“女”、“二十八歳”だったんで(笑)、けんもほろろにみんな断られまして。履歴書さえ受け取ってすらもらえないみたいな感じだったんですが、たまたまとある小さなフランス料理店が、人がいないんで雇うよと言ってくれて。」


最初のお店で働きはじめて三十歳の頃、矢部さんはそこで出会い仲良くなった同僚の女性料理人と小金井のダイニングバーの運営を任されることになったそうだ。

その女性との出会い、小金井での料理人としての経験は矢部さんの心をフレンチ修行へ動かす大きなきっかけになった。

「色々経緯があって、小金井で私と料理人の友人とでお店を任されて運営するっていうのが三十歳くらいの時にあって。その時にその友人が、フランス育ちで、イタリアで大学院に行って帰ってきて、なぜか料理人をやってるっていう才女だったんですよ。ものすごく頭の良い女性で、まあフランス語とかイタリア語とかペラペラで。彼女のフランスの話とか、色々すごい楽しかったのと、当時小金井のお店に毎日来ているような男の子がいて、フランス料理の修行してる料理人の子で、この子がフランスに修行に出たんですね。まあ年中(男の子から)連絡が来て、現地いいなと。行ってみたいなと思って、2005年に(フランスへ)行きました、お金貯めて。」


小金井での経験を経て、現地フランスへ料理修行に行った矢部さん。しかし、彼女が思ったようにことは進まなかったようだ。

「もう労働ビザがないんで、ちょっとアルバイト程度しかやってないです。まあただ、市場に行けば現地の食材があるし、スーパーでもお肉屋さんでも日本だと何千円もするものがすごい安く売ってたりするんで、それを自分なりに家で色々練習したりとか。先に行っていた料理人の友人のところで教わったりとか。それで一年間くらいいて、結局ビザが取れずに日本に帰ってきたんですけど。」



料理の道での思わぬ出会い

フランスでの修行から帰国した矢部さんは、いくつかのレストランで働いたそう。料理界といえばハラスメント問題をよく耳にするが、矢部さんも実際にそれを経験したようだ。しかし、あるとき西荻窪で思いがけない出会いをする。


「結構ほんとに料理界って体育会系なんで、本当に殴ったり蹴ったりとか昔はよくあったんですよ。私は女性であるということが多分大きくて、一軒しかそういう経験がないのと、行ったお店がやっぱりちょっと変わってるところだったんで、上がそういうことをしない人のとこが多かったので、あまり経験がないんですが。同業の友人とかだと若い頃殴られた蹴られたとかは結構やっぱ聞くんですね。」

「(フランスから帰ってきて最初に)パワハラフレンチに入って、でパワハラが嫌でやめた時にやはり就職に困ったんで、元いたシェフに相談したんですよ。そしたら『戻ってこい』って言われたんで、そこにまた行って。しかしここでまた後継者問題で店が色々揉めまして、やってられないと思ったので、よそに転職しようと。」

「たまたま西荻で飲んでる時に、『どうしよう来月から仕事』って飲んでたら、某店の店主さんが『私が昔働いてた店が人がいなくて困ってる』と。『スペイン料理なんだけどいいか』って言われて、それでスペイン料理店に就職しました。なんで、西荻繋がりで入ったんですよ。西荻のスペイン料理店じゃない、神楽坂のスペイン料理店だったんですけど。西荻で、紹介してもらって、神楽坂のスペイン料理店で入って、そこがキッチンと、いわゆるバルだったんでうちと同じ感じで。カウンターがあって、キッチンの仕事をしながらカウンターの接客もするっていう。そこに約五年間ですかね、いまして。」


スペイン料理店での話をかけがえのないもののように、矢部さんは語る。

「そのスペイン料理店のオーナーが元々『俺は店を辞めたい』とずっと言ってらっしゃる方で。でもすっばらしい、あんな素晴らしいお店はなかったです。あそこだったらずっと勤めててもよかったんですが、オーナーがそもそも入社するときに『俺辞めたいから、みんなちゃんと勉強して自分で食えるようにしてね』って言われてたんです。まあ実際にオーナーの夢が叶って、五、六年もう経つかな?ぐらい前に完全に閉店したんですけど。今そこに勤めてたメンバーは結構な人数いますが、みんな独立して色んなとこでお店をやっていますね。ちょっと変わったお店だったんですよ、ちょっと変わったお店の方が私はいやすかったです。」

「もうオーナーが『俺いつ辞めるかわかんねえぞ』ってずっと言ってるので、みんな一生懸命勉強というかね、自分の修行というかを続けて、技術なりなんなりを身につけて、で『そろそろいいんじゃない?』って五年目ぐらいのときに言われて。」



西荻パトロールへのお披露目

西荻窪にこれまで住んできた矢部さんにとって、いざ自分のお店を開く際の場所選びには、今まで慣れ親しんできたこの場所(西荻)以外の選択肢はほとんどなかったようだ。


「元々西荻のお店やろうと思って計画してたので、物件も西荻でしか基本的には探さないっていう感じで、もし西荻がなかったら、と、久我山あたりも探してました。」

「よその町に行く理由がないっていうのが一番大きいですかね。」

と、はっきりと答える矢部さん。

「住みやすいし、吉祥寺にも近いので、お買い物も吉祥寺と新宿がすぐ近くだし、あえてよそに行くっていう理由がないのが一番大きいと思います。」


「ずっと住んでるので、町の変遷とかは見てるので、昔西荻、お店とか全然なかったんで、それが段々お店ができるようになってまあ焦りっていうわけでもないけど、確かにそろそろ自分で独立しないとちょっとこれから大変だろうな、というのは思ってましたね。今開ける方は大変だと思います。家賃もすごい上がってるでしょうし、ものすごい人気スポットになっちゃったんで。」


イトキチのような小規模レストランにとって常連客を獲得することは生き残りの鍵。店によってはオーナーの元からの知り合いが常連になる場合もあるが、矢部さんによれば、西荻窪でどのレストランが幅広いファンを獲得していくかは地元の口コミが大きな役割を果たすそうだ。

「最初のお客さんは、まずはもともと勤めてたお店の、わりかしこっちに住んでる方とかが様子を見にきてくれたりする方が何人かいらっしゃって。で、西荻でお酒を飲んだり遊んだりしてたので、飲み友達が来てくれて。」


このような知り合いとの繋がり以外に、イトキチがお客を獲得したもう一つの大事な要因があった、「西荻パトロール」である。

「ただそれよりも、うち工事の期間がものすごい長かったんですよ。解体して作り直してっていうのに一ヶ月半かかって、ずーっと工事してるので、ここを通ってる人が『あれは何になるんだ』って噂になってたらしんですね。お店を開けて私も知ったんですけど、西荻にはパトロールをする方々が結構たくさんいらして。『新しいお店ができそうだぞ』ってところからチェックが始まり、『どうやら飲食らしい』っていうのでダブルチェックが来て、三つ目が『あの作りは和食だ』とか『洋食だ』とか『カウンターっぽい』とか、そういうの多分飲み屋さんとかの飲み仲間とかにみんなが言うので、もうできる前から結構噂が広まるらしいんですね。うちもなんか、『どうも飲食らしい』って、まあ冷蔵庫とか搬入したあたりで飲食になるらしいってなって、聞きに来る人とかもいました。わざわざ工事してるとこ入ってきて。なので、開けた時に、そういうパトロールをしてる人たちがどんな店?って感じでブワーってきて、なので集客もへったくれもありませんでした。」



主要客は女性

西荻では次々と新店が誕生することが日常茶飯事のようで、また入れ変わりも多く、これが原因で顧客の流動性が激しく、「西荻でのお店経営は難しい」というのが西荻飲食経営者の中ではしめやかに囁かれている。イトキチの客層もまた、時とともに大きく入れ替わってきたようだが、変わらないことが一つある。女性客の多さだ。

「うちはもう圧倒的に女性の一人客がものすごく多いです。最初からずっと。」

と、はっきりこたえる矢部さん。

「あまりにも女性ばっかりで、男性が入れないってすごい言われてたんで、ある年以降は男性の集客結構頑張りました。今は六:四ですかね。六:四か七:三で。一時期半々ぐらいだったんですけどずっと。コロナ以降、古い常連さんがほんとにパタっていらっしゃらなくなって、で新しく常連さんになってくれた方とかは、女性が圧倒的に多くて。年齢っていうより、その人の性格だと思うんですけど。『コロナで人と会っちゃいけないんで初めて一人で飲みにきました』っていう方とかも何人かうちのお客さんでいらっしゃいました。」


矢部さん自身が女性であることが、女性客の多さにつながっているのか伺ってみた。

「というのも聞くんですが、女性オーナーには男性のお客さんが来て、男性が立ってるお店は女性が来るっていうのが昔の一般論です。」

と、矢部さん。

「うちはちょっと逆で倒錯していて、うちは私が一人で立ってると女性が増え、レオくんっていうスタッフが立ってると男性が増えると。多分ね、うちはちょっと倒錯してると思います。ただお客さんの心理は私にはわからないです。」


コロナ渦では外食自粛、飲食店も営業自粛の協力が求められたことにより、客足の減少が顕著だった。イトキチも例外ではなかったらしい。その対策として、矢部さんは以前まで客席として使っていた二階を週末だけ営むワインショップに変更した。


コロナ禍を通してお客の行動に変化があったと矢部さんは語る。

「最近は二軒目使いはほんとに減ったんで、一軒目で来る方が多いです。以前は、一番忙しいのが十時、十一時、だったんですけど、今はやっぱ忙しいのは六時から七時半ぐらいで全然変わりました。多分うちに来ている年齢層の方とか、当時遅くに飲んでいらした方が、生活のスタイルが変わったんだと思うんですよ。早く寝るようになったとか、二軒行かなくなったとか。変わりましたね。やっぱね、三年も生活が違うとそっちがスタンダードになりますよね。」



お客と矢部さん

イトキチの大きな魅力は、矢部さんとお客の盛んな交流だ。ただそこには、矢部さんならではの配慮もある。


「私お客様から話しかけられたら、話すことにしてるので、その方が話しかけなければ話しません。大体みんな話しかけます(笑)。でもずっと本読んでる方とかもいらっしゃたりするんで。」

「お客同士でしゃべるように、つなぐ活動は結構やってました。難しいとこなんですけど。いろんな方がほんとにいるので。こう人間関係のそういうトラブルとかは発生したりとかは、発生しがち、って言うのは語弊があるなあ〜、でもそれなりの数はやっぱ発生します。あとは仲良くなりすぎて喧嘩しちゃったりとかね。小さいコミュニティの中で起こりがちな、こう、村社会であるようなものがお店の中でも発生したりするので、なるべくこう、バランス良くっていうのは一応心がけてるんですが、そんな私が一番地雷を踏んでますね(笑)。ものすごくはっきり言ったりとかもするんで。うちのお店はもうルールはたった一個で、私のことを怒らせないこと。私を怒らせたら、それはダメなこと。」

「私はここに立って、ここにきた人や、通りを見たり、いろんなお店が変わっていったり、その時その時の友達になった人たちと話をしたりして、人間観察はすごくいっぱい数をこなしてきました。(定点観測カメラ見たいな?)そういう感じですね。ただ、カメラにバイアスがかかってますけどね(笑)。」


お客同士が矢部さんをきっかけに繋がることも多いが、そこには難しさもあるようだ。しかし、お客との数々の交流、西荻窪の町で日々生活をすること、いくつものことが矢部さんの人と人を繋げる力に生きているように感じる。


イトキチの世界観

店内に入るとそこはイトキチだけの独自なワールドだ。矢部さん自身の明るい人柄だけでなく、店内の様々なインテリアは彼女の趣味嗜好を映し出し、不思議と故郷のようなものを感じられる。

大きく目に入るのはアニメグッズ、漫画や本、雑誌だ。

店の右側には階段があり、様々な種類の本が階段の格子に沿って縦に並べられている。

「アニメとか漫画とかすごい好きなんです。小さい頃から。まあ、なんか家ですよね、ある種のね。ここも普通に階段だったんですけど、いつの間に本棚になっちゃって。」


店内に入って右側の壁には、常連客と毎年行う書初めも飾られている。書道作品を作ることは一種の常連客のステータスにもなるらしい。

「毎年、真面目に今年の目標を書こうっていう。皆さん書いたことが言霊というか、本当にそのほうに転んだって人のほうが結構多いので、結構みんな真剣に書くようになって。皆さん来るタイミングが色々だったりするので、いらした時に書いてもらって。なんかね、書道教室もやられてるんですかってよく聞かれます。ほんとに常連さんってやっぱり変わっていくので、初めてこれを書けてなんか常連になった気がするっていう方とかも、で昔書いてた方はもういらっしゃらないとかもあるので。これも移り変わっていったりします。」


イトキチの店内全体は暗めな木目調で、そこにもまたノスタルジーや温かみを感じられる。当初、独立してインテリアデザイン会社を設立した若手の駆け出しの男性が、丹精を込めてデザインしたそう。


「デザイナーさんの施工の会社の人に、こういう感じのお店がやりたいって言って。わたし、骨董が昔好きで、古い家具とか好きで、今はもうみんななくなっちゃったんですけど、集めたり見に行ったりしてたんですよ、あの大正時代の家具とか。なんでそういう、古い感じにしたかったんですよ、最初から。なので、出来立てのピカピカな感じじゃなくて、昔からずっとあるような、おばあちゃんとかが暮らしてるよなっていうので。それが一応コンセプトでした。」

そして私たちは、お店の名前を”イトキチ”にした経緯を尋ねてみた。

「『結』を分解するとね、『糸吉』になるんで。漫画のパクリですけどね、漫画の”絶望先生”です。なんなら絶望先生は『糸色望(イトシキノゾム)』で絶望ですから。今野書店 の漫画コーナーを歩いてて思いつきました。たまたま買い物してる時に漫画コーナーで、絶望先生の漫画欲しいんだよなあって思いながらずっと見てて、『あ!使えんじゃね?』みたいな。で、勤めてるお店に『ねえねえ、新しいお店の名前さ、これどう?』って言ったらみんなで『いいねえ』ってなって。なんでロゴのデザインも自分でしました。」



イトキチで出会えるワインと創作料理

イトキチでの目玉はワインだ。南と東ヨーロッパのユニークなワインをコストパフォーマンスよく提供する。矢部さんのワイン選びは、銀座のワインショップでも働くスタッフによって支えられ、イトキチの常連客に珍しいワインを紹介する。

そしてお店で味わえる料理もこれらのワインに引けを取らない。コロナ前はスペイン料理がベースであったようだが、最近は、以前のヨーロッパでの経験や数々のお店での修行で得た経験から、さまざまなエッセンスが交わった創作料理へと変化してきているのがまた面白い。美味しいビーフストロガノフもある。

「なんか最近ね、やたらロシア料理とか作ってますけど、コロナの直前までは一応スペイン料理店っていうことにしてました。コロナになったあたりで、まあもう何やっても良くない?みたいになって。でも元々スペイン料理の何が素晴らしいって、こう田舎臭さにあると思っていて。超高級店とかのオシャレなスペイン料理はいっぱいあるんですけど、元々は全体を通してなんとなく田舎なんですよね。郷土料理のお店は大体皿が全部茶色いんです。彩が綺麗じゃない、みんな茶色、お母さんの煮物みたいな。あれがスペイン料理のベースなので。近年、日本におけるスペイン料理も、すごいちゃんとやってるとこたくさんあるんですが、やっぱりこう流行ってくるとどうしてもおしゃれになって、段々洗練されていってしまうんで、田舎臭さを求めて今東欧とかロシアにいってます。」

他店のお店に行って食事をとり料理の研究をすることは料理人としてよくあることだが、矢部さんは、本当の自分は内向的だ、と、その性格から段々と食べに行くことをしなくなったそうだ。今でも他のお店の料理を食べるとインスピレーションはあるようだが、最終的にはあくまでも矢部さんの料理になる。

「いろんなとこに食べに行って、すごい失礼な言い方なんですが、アイデアとしてネタとして、『あ、こういう組み合わせあんのかあ』とか『こういうソースにすると美味しいね』とか『この素材をこういう風に使ってんのすげえな』とか思うんですけど、それを元に自分が何を作るかっていう感じになるんで。」

イトキチの経営は自分との戦い

自分のお店を経営するにあたって難しい点はどこにあるのかという問いに対して、矢部さんは笑って”自分自身”だと語った。

「私の場合は、自分自身ですかね。自分自身の性格とか行動が災いして、うまく行ったりうまくいかなかったりするっていうのが嫌です。」

「気分というより、多分性格です。根気のない自分が嫌とか、まあいわゆる努力しない自分が嫌だとか、もっとやればいいのにすぐサボるとか、できない人間だなというのを突きつけられる感じとの戦い。」


矢部さんが“ネタ帳”と呼ぶ分厚い手帳には週のメニュー開発のアイデアがびっしりと書かれ、彼女のイトキチへの思い入れが感じられる。普段明るい性格でお客を魅了する矢部さんだが、自分の料理に妥協しない姿はやはり料理人だ。

「ネタ帳というか、私毎週『ほぼ日手帳』のウィークリーを、ウィークリーとして使って。ほぼ日好きなんですよ。週で見開き一ページ使う感じです。メニューを考える作業が一番時間がかかります、被らないようにとか。昔は毎日来るくる人がいて、今は毎週来る人がいるんで、毎週二回とか来る方がいらっしゃると、できるだけ違うものを召し上がっていただきたいので。なので、これを考えていって、思いつく時はバーっとできるんですけど、思いつかないと何回も何回も直したりとか。」



日々料理のアイデアを考え、お店の経営は己との戦いと語る矢部さんだが、十一年間でやり遂げたものには誇りを感じているようだ。

「おかげさまでやりたいことは全部やりました。」

「たとえば、まず『一人で全部できること』。一番最初ワンオペで始めたんですけど、接客とか仕入れとか調理とかお店の経営に関わる営業も含めて、を全部一人でできること。そして『ちゃんとお客さんがつくこと』。じゃないと、潰れますからね(笑)。次が、スタッフにちゃんと『お給料が払えること』、で人を雇い始めて。」


「若い時は多店舗展開を考えてたんですよ。なので、正社員の料理人の男性を雇って一回チャレンジしたんですが、ここで私の経営能力がないことが露見しまして(笑)、失敗してその料理人の方は結局お辞めになって、私は何店舗も経営するのは向かないんだなっていうのをそこで知ったんで、まあ実験は終了と。で、地道にやっていくっていうので、今もずっとスタッフで勤めてくれる男性がいるんですが、彼ほんとに全然、飲食も関係ない、お酒も友達と行った時にちょっと飲むくらいの男性だったんですが、今はワインの仕入れもできるようになったんで『人を育てる』っていうのもちょっと目標だったんで、おかげさまで多分育てられたと思います。」


「結構終わってしまって、今残念です。目標がなくなっちゃたんで、ちょっと困ってます(笑)。」


今回インタビューさせていただいた矢部さん以外にも、西荻窪の多くのバーやレストランのオーナー、男性も女性も、自身のアイデンティティを表現できる場を求めて脱サラ、独立をし、料理の世界へ飛び込んできている。矢部さんのお話からは、企業、料理界関係なく立場を求める女性の葛藤がうかがえた。日本の料理界は長いこと男性社会と言われてきたが、そんな中、矢部さんはこの西荻窪というユニークな町に彼女独自のオアシスを、持ち前の明るさと 知的な会話で作り上げている。女性を中心に、西荻窪の住民やイトキチのお客は、美味しいワインを楽しみ、哲学的なバーテンダーとの親近感に魅力を感じるのであろう。(ファーラー・ジェームス、下岡凪子、木村史子 9月10日2023年)



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