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執筆者の写真James Farrer

東京・都市ジャングルの中の山小屋を訪ねて



西荻窪の賑やかな飲み屋街の中心部に、アウトドアの精神を掲げる隠れ家のようなバルがある。山岳に点在する山小屋にちなんで、そのお店には「西荻ヒュッテ(独: Hütte)」という名が付けられている。東京の都市ジャングルの一角に位置するこの小屋は、登山の精神と同じくらいに飲み文化を愛する人々の憩いの場になっている。代表である長内研二(おさない けんじ)さんと店長の幕田美里(まくた みさと)さんは、心からハイキングやアウトドアを愛し、その趣味を常連客と共有するほどにお客との距離が近い。飲みコミュニティの集いの場としてだけでなく、西荻ヒュッテは料理の名所でもあり、特に幕田さんが作るホットサンドは、料理本を二冊も出したほどの熱い品だ。

 

山小屋をコンセプトにお店を始める

彼らが山小屋をコンセプトにお店を始めたのは、自身のハイキング好きからだけではなく、その空間に自然と生まれる他人とのつながりに特別な思い出があり、それを都会の町中にも持ち込みたかったからだそうだ。

 

長内研二さん(以下、長内…敬称略)「僕がここのお店の前のお店(串焼き屋)によく来ていて、ちょっと業態を変えて引き続き一緒にやらないかという形でお誘いいただいたのが始まりです。」

「(コンセプトについては)この周りって色々なお店があるじゃないですか。そことちょっと違う形にしたかったっていうのがひとつあったのと、当時アウトドアがまだそこまで流行っていなかったと思うんですけど、その頃から外で色々やるのが好きで、山登りなどをしていたことがキッカケです。お店を作ると考えた時に、たとえば調理器具をアウトドアで使うものであったりとか、料理やお酒で自然や旬が感じられるようなお店ができないか、ということで『山小屋』というテーマにしました。Hütteという言葉は“非難小屋”という意味もあって、“街の中に山小屋があっていろんな人が避難してくる”そんな感じをイメージして考えました。」


幕田美里さん(以下、幕田…敬称略)「以前、山小屋に泊まった時におもしろかったのが、宿泊されるお客さまがお酒を飲む方が結構多くて、その日初めて出会った全然知らない人同士で、お酒を飲みながら、『次の日どのルートを歩くんですか』って、自然とコミュニケーションが生まれるんです。そういう場にしたいと考えています。山じゃなくて、普通に街中に「山小屋」があってもいいんじゃないかって。」

 

長内「山小屋に台風の時に行ったことがあって、山頂までは登れない状況でした。キャンセルが多くスタッフの方を含めて十何人しかいなかったんですね、山小屋に。そしたら、暴風の中いろんな方がいらして、山岳救助隊の人達が一升瓶のお酒持ってきたりとか(笑)。十人くらいしかいないし広間でお酒飲むしかないか…、みたいになって、薪ストーブの周りで大宴会でした。その経験はすごく面白かったです。八ヶ岳の“オーレン小屋”っていう小屋です。コロナ後は行けてないんですけど、コロナの前は結構行ってましたね。」

 

ユニークなコンセプトだ。しかし、長内さんと幕田さんは、西荻のお店はバラエティに富んでいて特に自身の店が違う雰囲気になっているとは感じない、と長内さんと幕田と言う。

 

長内「料理は、他のお店とちょっと違うかとは思いますけど。」

幕田「西荻窪にはいろんなお店がありますからね。それこそ、裏の柳小路にはタイ料理屋さんだったり、バングラデシュだったり、韓国だったり、多国籍なお店がいっぱいあります。十分個性派揃いですからね(笑)。そんな中でうちだけなんか別っていう感じはしないですね。」

 

開店して八年目になる西荻ヒュッテ、現在は夜のバルのみの営業だが、かつては昼間もホットサンドの専門店として営業していた時期があった。

 

幕田「(それまでは夜だけの営業だったが)開店して二年くらい経ってから、私がここでホットサンドのランチを始めて、それが一年ちょっとくらい。確かコロナが始まった年の三月に、お昼をやめて夜にまわるようになりました。」

 

また昼間の営業をやるつもりはないのかと尋ねると、「人がいれば(笑)。」と幕田さん。

 

幕田「朝から夜中までは無理。仕込みの時間がない。あの時は、お昼やって、夜の店長と入れ替わりでしたから。当時、私は家で全部仕込みをしてたんですよ。で、それを狩猟用のすごく大きいザックがあって、それに作ったものを入れて、家から運んできて。十時半くらいから営業して、十五時頃家に帰って、ちょっと休んで、買い出し行って、夜仕込みをして、次の日の朝また運んで…でしたから。家のキッチンがまだ広いのでよかったんですけど。一人暮らし用のキッチンだったらまず無理ですね(笑)。」

 


美味しいホットサンド

西荻ヒュッテの一押し料理は、紛れもなく幕田さんが作るホットサンドだ。ホットサンドと言えば、家庭で簡単にアウトドア気分を楽しめるとしてコロナ禍で注目を集めた。幕田さんのホットサンドレパートリーは三百にも及び、本も今までに二冊出版している。現在メニューは、「週替わり」のホットサンドと、甘じょっぱさとバターの風味がたまらない「あんことマスカルポーネのホットサンド」の二品だ。


幕田「直火のホットサンドメーカーってすっごく具をたくさん挟めるんですよ。でも電気のはそんなに具材は入らないんです。はみ出しちゃったりして、綺麗に焼けなかったり…。」

「うちはホットサンドメーカーにバターをまず一回塗って、パン二枚で具を挟んで(ハーフサイズはパン一枚)、直火で焼く。厚めの肉とか入っていたら弱火にして長めに火にかける、真ん中までちゃんと火が通るように。弱火の方がいいです。ホットサンドの具は、あらかじめ基本火を通して用意しておきます。基本は弱火ですが、具材によって火加減は違います。」

 

ホットサンド作りにスキルは要らず、誰でも簡単にできるそう。

 

長内「弱火でやればそこまで難しくはないですよ。技というほどでもないです。おすすめは、ホットサンドメーカーにバターを塗ること。ぐっと香ばしく仕上がります。それをやらない人が多いのが少し残念です。」

幕田「私は発酵バターを使ってるので、表面の色や香りはさらに良いはずです。」

 

本を出版するに至った経緯についても伺った。

 

幕田「(一冊目について)当時ホットサンドのランチをやっていた時、“HOT SAND BRUNCH”という名前でやっていて、その時に週替わりで三種類出していて、和洋中とか、和洋エスニックとか。種類を変えて、三種類から選べるようなランチにしていたんですよ。それを週ごとに変えていくから、一年ちょっとくらいで多分二百いかないくらいかな?それくらいのペースでメニューが増えていきました。それを多分インスタなどのSNSで知った出版社の方がご覧になって『本出しませんか?』ってお話をいただいて。」

「一冊目の本に載ってるものは大体当時お店で出してたものです。(“ホットサンドメーカーにはさんで焼くだけレシピ”)」

 

二冊目の本の出版では、武蔵野美術大学の講師でもある長内さんもディレクションで、デザインや撮影、構成などにも関わったそうだ。(“ホットサンドの定食アイディアレシピ”)


西荻ヒュッテの常連客とコミュニティ

飲みの場で常連客達が盛んに交流する光景は、ここ西荻窪ではよく見られる。西荻ヒュッテでもそうだ。しかし、常連客の色、彼らのつながり方には店それぞれで個性がある。西荻ヒュッテではアウトドアのコンセプトのごとく、キャンプやスポーツなどの趣味の共有がお客同士、また、お客とスタッフの間でアクティブに行われ、深い関係が築かれてきた。


長内「常連さんが多分七割くらい。一見さんというか、一回目、二回目くらいの人が三割くらいって感じで。年齢は常連さんは、四十代後半、五十代くらいの人が多いですね。まあ二十代、三十代もいますけど。一見さんは年齢はまちまちで、若い人も来ますね。」

幕田「どちらかというと常連さんはおじさんたちの方が多いです(笑)。女性も常連さんいっぱいいますけど、男性の方が多いですね。女性一人で飲みにくる方は、だいたい常連さんです。一人で来るんですけど、みんな知り合いだから、一緒のグループみたいに見えますけど、みんなそれぞれ一人で来てくれます。」

長内「一番多い人で週四回とか、お酒飲みに来ます(笑)。」

幕田「仕事終わって、帰りに寄って、お酒飲んで…っていう人が圧倒的に多いですね。うちは一軒目使いの方が多いです。多分営業時間的に…。お客さんが共通しているお店が多分五、六軒くらいあるんですよ。うちのお店は他よりも早めに開けて早めに閉めるから、だからうちは一軒目なんだと思います。次に遅くまでやってるところで二軒目、もっと遅くまでやってるところで三軒目、四軒目とか。そういう『はしご』する方が多いです(笑)。」

長内「話をしたい人が多いんじゃないんですかね。他のお店に行けば、また他の人と喋れるから、っていうので回ってるんだと思います、おそらく。」

 

お店ではどんな会話が生まれるのか尋ねてみた。

 

長内「コロナのこともあって、コロナの期間くらいから外遊びをする人が増えて、お客さん同士でキャンプに行ったりとか、結構していますね。その打ち合わせの話だったり、あとは日常的なことだったり、食べ物のことだったり…。そういうお話をされている方が多いかもしれないですね。でも、食べ物の話、多いかもしれませんね(笑)。僕らもお客さんと車でちょっと離れたラーメン屋さんに一緒に行ったりもするので。

あとサウナの話も多いか(笑)。サウナ好きなお客さん多いです。一人、サウナの番組を作っているお客さんがいて、その方が相当詳しいので。お客さん同士でどこ行った、どうだったっていうのを色々話したりしています。」

 

アウトドアの趣味を通して、西荻ヒュッテのコミュニティは活性化されている。

 

幕田「うちのお客さんたちは本当に仲良いですね。だいたい一緒にいますもんね、週末(笑)。野球チームもあるし。多趣味なんですよ、みんな。アウトドアで山登るのが好きな人。釣り好きな人、ゴルフ、野球、フットサル、サウナとか。男性女性関係なくですね。」

長内「一緒にキャンプとか行くしね。女性も男性も。僕らはお店があるから、土曜や日曜は一緒に行けないんですけど、何回かはご一緒させていただきました。」

幕田「お客さん同士でキャンプ行ったり、川行ったり、BBQしたり。私が夜営業にまわる前はお客さんと一緒に、それこそ山小屋泊まって山登りしてっていうのは結構あったんですけど。」

長内「春や秋に善福寺公園でピクニックみたいな形の宴が開催されるんですけど、入れ替わりで合計百人とか(笑)。うちだけじゃなくて、他の仲の良いお店も合同で。」

幕田「でも、そういうのが仕切れる方がいて、すごいものですよ。撤収もものすごく速くて、酒飲みのプロですよ、みんな(笑)。」

「常連さんはひどい酔い方する人はいなくて…、何人かはいるけど(笑)。基本そこはみんな大人ですね。西荻に住んで二十年とか、ずっと地元の方もいらっしゃいますね。若い頃はやんちゃな人もいたらしいですが、流石に五十歳くらいだと、みんなもう大人。丸くなったね〜みたいに言われている人もいます。トラブルというトラブルは、ほとんどないですね。」

 

常連さん同志で恋愛関係に発展することはあるのか、聞いてみた。

 

幕田「(男女が知り合って恋愛関係になることは)あんまりない(笑)。でも知り合って結婚したお客さんは何組かはいらっしゃいます(笑)。もうほんと長く知りすぎちゃって(笑)。たとえば新しく若い女の子とか、よく飲みにくるようになったらどこかでキッカケがあるかもしれませんけど。常連さんの女性で一人で来る方はいますけど、普通に飲み仲間になっちゃってて、恋愛うんぬんの対象にならないんですよ。一緒にキャンプ行ったりもするし、遊びに行ったり、ごはん行ったりもするんだけど、そういう風には発展する人はなかなかいないですね。」

 

西荻ヒュッテは、駅前の細い路地、昭和の趣を残す飲食店街に位置する。そこでは常連客の交流が日常的に盛んであるが、知らない人同士での関係、はたまた恋愛関係が生まれるかについて、長内さんはこう語る。

 

長内「恋愛うんぬんじゃなければ、それはもう。でも一人で飲みにくる新規の女性は意外に少なくて。店は選ばないとだけど、もうちょっと一人で飲みにくる女性も多ければなと思うことはあります。見るだけで通り過ぎちゃう人が圧倒的に多いので。気になってても、入らない人は多いですね。

誰がいるかにもよるんですけど、常連さんが初めてのお客様と話がはずんだら、他のお店に一緒に行っちゃったりして…。すごいですよ(笑)。」



コロナウイルスの影響

他のお店同様、西荻ヒュッテもコロナ禍で長期に渡り影響を受けたようだ。取材当時、「今でも営業は元には戻っていない」と二人は語った。しかし一方で、西荻ヒュッテの常連客の中にはアウトドアに目覚めてしまった人もいるようだ。

 

幕田「お酒出しちゃダメとか夜二十時までとか、そういうふうになった時は、“ホットサンドブランチ”っていうお昼の業態に戻した時もあったんですよ。お酒出さないでランチ営業をやって。本当に期間限定みたいな。あの頃は二ヶ月おきくらいにコロナの制度がコロコロ変わったりして大変でしたね。テイクアウトだけとか、店内飲食だめだったりとか。」

長内「いやもう人が減っちゃって…。町に歩いてる人が少ないですね、全体的に。」

幕田「遅くまで飲む人が減った気がします。ひとときよりはまだ戻ってきたかなっていう感じもするけど、今年は夏が暑すぎて(取材時は九月末)それもある気もします。昼間に人がいないとか、週末でも。やっといい気候になってきたからもうちょっと増えてくれるとよいですね。」

長内「飲む人が減ったのは圧倒的にまずひとつありますが、うちのお客さんでいうと外遊びする人がすごく増えましたね。キャンプしよう…とか、ゴルフ行こう…とか。それまで行ってなかった方もたくさん行くようになりましたね。」

とのことだ。

 

コロナ禍の影響は、ヒュッテがある裏の通り、柳小路で毎月第三日曜日に開催される“昼市”にも大きく及んでいる。


長内「前はほとんどのお店が参加していたんですけど、今はもうお昼から開けているところが数軒くらいしかなくなりましたね。」

幕田「人が少なくなったし。前は通れないくらい人がいて。どこかのお店で購入したものを、どのお店でも飲み食いしても良いっていうスタンス。どこかのお店のビールを飲みながら、他のお店で料理を買って、外のテーブルだったり、テーブルがあいているお店で食べるみたいな…。だから裏の通り(柳小路)には外にテーブルもたくさん出ています。人もすごいから、通れないくらいだったのですが、最近は寂しいものです。コロナの影響で、だいぶ変わりましたね。」

 

影響は引き続き残っているが、西荻ヒュッテのお客は、お店の外、地域の祭りを通してもコミュニティに参加している。

 

長内「この通りの商店会ですね…、名前はなんていうんだっけ?わかんないな(笑)。」

「お祭りは商店会ごとではないです。ただ、うちのお客さんでお祭りを仕切られている方がいて、その方の声がけで、秋のお神輿が出る時はうちのお客さんも担いでいます。ずっとお祭りに参加してる人も何人かいますね。正月の獅子舞も同じ方が仕切られています。」

 

西荻ヒュッテは、ここ西荻の飲み文化でしばしば語られる、“地域コミュニティの形成”を体現しているようなバルだ。居酒屋が点在するこの町では、食べ物が特別であるのはもちろん、値段も手頃である必要がある。また、飲みが中心ではあるが、高級なアルコールを望んでいるわけではない。お店にとって、お客との対話の中で最も重要といえる要素は、頻繁に利用する常連客のコミュニティをいかに育むことができるか、ということである。JR西荻窪駅の南側、初めてここを訪れた者からすると小路に数多く並ぶ店は、どこも似たように見えるかもしれない。しかし実際には、オーナーの性格、スタイル、趣味は多種多様で、西荻ヒュッテはそれをよく表している。この店の名前Hütteのように、他のそれぞれのお店も、人々がこの都市ジャングルを独自の路線で生き抜く“山小屋 = サバイバルシェルター”なのだ。(ファーラー・ジェームス、下岡凪子、木村史子 4月2日2024年)

 

 

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