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執筆者の写真James Farrer

放浪するレストラン経営者


 

西荻窪駅を北口側から出て徒歩3分、その日我々は型破りなレストラン経営者にインタビューする機会をいただいた。Pic Nic Tokyoのオーナー兼シェフ、増子裕樹(ましこゆうき)さんは、彼のポーカーフェイスで放つジョークと創造的な味の組み合わせで、己の道を突き進む。ある時は馴染みのある料理を自身のユニークなものに変えてお客を驚かせる彼。この日インタビューの際は、私たちが普段思い描く地元西荻とはひと味違う、新しいこの町への価値観を見せてくれた。

西荻窪でレストランを経営することは楽しいことなのか?増子さんとの会話を通し、この疑問が我々の頭に生じる。

一方で、料理に対する自信とビジネスにおける鋭さは、彼にしかない特別なものを感じた。

 

最初に増子さんに調理人になったきっかけを伺った。すると、料理の世界に入ることは人生プランにはなかった、と語る。しかし、子供の頃から手を使う遊びに興味を持ち、どうやらそれが彼のキャリアに影響を与えてきたようだ。

「僕がちっちゃい時、幼なじみがいなかったんですよ。だから一人で遊ぶしかなくて。僕ファミコン世代なんで、ファミコンとかあったんですけど、全然ハマらなくて。自分で興味持って遊んでたのが、プラモデルと、ミシンと、包丁だったんですよ。だから両親が着なくなった服を、たとえば袖とか全部切ってそれを別の服に移植したりとか、半分に切って半分違う服にしたりとか、してて。だから料理も小学校から自分の包丁があって、自分で料理作ってたりしたから。だからきっかけっていうか、それで遊んでたからそれしかできないっていう。そのままこの歳になるとそれしかできないっていうか。」


彼は料理人になる前、スタイリストとして数々のキャリアを築いたそうだが、目標を達成したことを理由にスタイリストの仕事から離れ、単身フランスに渡ることを決める。

「洋服の学校に行って、新宿の文化服装学院。ちっちゃい頃から縫ったりとかしてたから、僕わりとトップだったんですよ、成績が。トップになると、もう飽きちゃって。それで縫うのからどっちかっていうとコーディネートとかの方に興味を持って。で、スタイリストになってたっていう。で、この仕事やったらもうやめようって思ってた仕事があって。それ雑誌の表紙だったんですけど、それ二回やったからもう辞めようって思って。それでフランスに飛んで、料理して、戻ってきてみたいな。」

 

 

旅人は料理人となる

スタイリストの仕事を辞め、単身フランスに渡った増子さん。当初は料理ではなく楽しさを目的とした旅をしたかったそう。しかし、現地にてたまたま彼に舞い込んだチャンスはケータリングの仕事だった。

 

「最初ニースで、その後マルセイユにいましたね。別に料理がしたくて、フランスに行ったわけではないんですよ、それも。逃避、逃避。もうスタイリストも疲れたし。」

「でもお金なかったので、なんか働かないとだめじゃないですか。それでまあ色々あって、なんか寿司を握れる日本人を探してるフランス人がいると。で、まあ会いに行って、もちろんやったことないんで。けど『できる?』って聞かれて、『できる。』って言って。それで、『じゃあちょっと厨房来て』って言われて。『どういうオペレーションでやるか見して』って言って。でなんかフランス人が握ってるんですよ。これ俺にもできるな、て。それで寿司屋に潜り込んで。」



「そこは割とケータリング中心だったんですよ。ケータリングって寿司屋だけじゃなくてフランス料理もいれば、イタリアンもいれば、ターキーもいれば、なんか他の料理とかもいる、パティシエもいるし。で大体みんな同じチームで回ってるんですよ、会社は違えど。それでみんな同じことやってもつまんないからちょっと教えてよ、みたいな。結構厨房の中は教えて教えてみたいな感じで、ほんとはダメだけど、俺がイタリアンやってる時もあれば、イタリア人が寿司やってる時もあるし。流石にパティシエはちょっと無理だけど。ちょっと教えてよ、と。」

 

「別に僕、言葉はできないけど、ちっちゃい頃から包丁触ってたからなんかできて。多分手先は器用だったと思います。」

 

有名レストランに就職し修行を積む、というような従来の方法ではなく、たまたまフランスで出会ったケータリングの職場でその環境を生かし、フレンチ、イタリアンなど様々なスタイルの料理を独自の方法で学んだ増子さん。初めてであったにも関わらず、「割とサラッとできた。」と彼は言う。その吸収力や柔軟性には彼の天才性を感じる。

「洋服もそうなんだけど、割とサラッと。よくなんか学校になんか知らないけど勉強できるやついるじゃないですか、あれですよ(笑)。でも、僕勉強は全然できなかったんで、ほんと学年に五百人いたら四九八番とか。だから料理は別になんか特殊な修行したとか、全くなくて。」

 

「コミュニケーションはなんとなく、ジェスチャーとか。なんとなくの英語と、なんとなくのフランス語と。」

 

最終的にはビザが降りず、一年余りで日本に帰国した増子さんだが、そのまま料理の道を志したわけではなかった。だが、当時交際していた女性に後押しされ、生活のためにレストランの仕事をいくつか経験したそうだ。

「帰ってきてね、何してたんだろ俺。しばらく何もしてなかったんだよな。たまに派遣のバイトとか行って。で、あんまりお金もないから、当時の彼女にちょっと入り浸ってて。『いい加減働けよ』って言われて。で、『何したらいい?』って聞いて、『ここの面接受けに行きなさい。』って、それがレストランだった。ビストロ。阿佐ヶ谷の。」

 

「でもそこが色々あって火事で燃えて。まあその後も(このビストロは)やってたんだけど、結局一回燃えたから周りの色々信用とかもあって、やめて。」

「で、また彼女ん家に入り浸って、また『いい加減に働けよ』って言われて。で、『またなんか選んでよ。』って。そしたら赤坂のレストランに。そこすごい稼いでたんでお金ちょっとためて…。」

 

「ほんでね、ヨーロッパをぷらぷらするんですよその後。やめて、ヨーロッパぷらぷらしてて、色んなとこ。次どこの国に住もうかな、くらいの感じで。まあでも色んな国回ってたら、だんだんめんどくさくなってきて。で、日本に戻ってきて、僕当時あんまり日本行ったことなくて、色んな都道府県。ちょっと日本でも行ってみるかと思って。その時に、元々スタイリストの時にお世話になってた服屋さんが京都に一年間くらい店を出すって、ポップアップショップみたいな。『フラフラしてるなら手伝って』って言われて、『あ、いいっすよ』って言って。」

 

料理人は経営者となる

貯めたお金でヨーロッパや日本を旅した結果、今度は京都にて服飾のポップアップショップを手伝うことになる。そこで、元料理人として腕を振るう機会があった。

「そこは京都の町屋っていうか、古い古民家みたいな。住めたのよ。で、(当時)家もあるようなないようなだったし、住めるし、別に京都に興味もないけど行ってみるかって思って、京都に行って服屋を手伝ってて。でも住み込みだから、僕は料理作ってて、そしたらお客さんとかに『元料理人なんだよ』みたいになって、『なんか作ってよ』ってなって…。そっから一ヶ月くらい経って、なんか毎週、そこの服屋広いから毎週土曜か日曜になんかパーティーするようになって。」

 

「で(ポップアップのお店で)料理を作ってても、(お店)なくなるじゃん、なくなるから、でも家もないからちょっと働かねばと思って、料理が好評だったからレストランで働くかと思って、働いてたら、東京とおんなじことしてるけど給料は三分の一くらいしかなくて。京都ってそんなに家賃安くないんですよ。それでこれは生活できないからなんかしないとなって…。だから自分の店を持ちたいとか、めちゃめちゃ料理がしたいとかそういうのはなくて、それをしないと生きていけない状況にあったっていう。」

 

京都の経済事情が割に合わないと感じた増子さん。いっそのこと、と、当時付き合っていた彼女(現在もビジネスパートナーとして支える)と京都に自分のお店を開くことを決める。

「初めお金なかったから、当時の彼女が協力してくれて、なんか色んな方法で一千万借りて。一千万借りるには物件がないとだめなんだけど、最初ここにしようかなって思ってた物件がなんかうまくお金借りれなくて、一回やめたのね。で、一から探さなきゃねってなって、近くのアサヒビールのビアホールがあるんだけど、そこでビール飲んでて、そしたら不動産屋から電話かかってきて、『今(物件が)出ました』って。だから資料何もないんですよ、手書きの住所しか。(それを)持って、じゃあ見に行くかって行って。」


「全然京都のこと知らないから『この場所どこなの?東京で言うなら』って(彼女に)聞いて。まあ東京に住んだことない彼女には良くわかんないけど、『どこかわかんないけど中心だよ』って。中心って言ってもその中心は渋谷なのか、新宿なのか、銀座なのかとか知んないけど。『わかんないし、とにかくいい場所だ』って言われるから、じゃあそうなんだって思って、そこ借りたっていう。だから自分の店が最初どこにあるのかわかんなかったもん。結果銀座みたいなとこなんだけど。十年前(の話)。」

 

開業当時、この京都のレストランCuisine Bar Cafe Pic Nic はフレンチのスタイルだったようだが、現在は休業している。近々路線を一気に変えて、“シュウマイ居酒屋”としてリニューアルオープンするそう。現在もビジネスパートナーであるかつての交際相手の女性が、昔中国に住んでいたそうで彼女のつくる中華料理が絶品だから、と増子さんは語った。

 

この京都店の成功をきっかけに、増子さんは彼が育った東京へ進出するのだが、決め手は当時の社会事情と財政面だったそう。

 

「正直京都でもう一店舗やろうと思ったけど、その当時コロナ前で中国のバブル(訪日中国人による観光収入)がすごくて、もう家賃とかとても払えないんですよ。うちの京都のお店の四軒隣くらいが飲食店だったんだけど、(そこが)空いて、このくらいの大きさ(Pic Nic Tokyoの広さ)の二階付きみたいな。そこがなんか賃貸じゃなくて、飲食店だったから居抜きなんだけど、売り物件で出てて、『いくら?』って聞いたら『三億』って言われて、それもう無理だなって。じゃあ東京で探すかっていって。」

 

現在、東京と京都を行き来しながら生活する増子さんだが、ほとんどは東京にいて東京の店の営業をしている。お店を開業する上で西荻窪という場所に特に強いこだわりはなかったそう。というよりも、むしろあまり魅力を感じないというから、その正直さがまた面白い。

「それでまあ(物件を)探して、別に西荻が好きとかもないし(笑)。まあでも家賃安いし、いいかって。」

 

「阿佐ヶ谷は働いてたけど、阿佐ヶ谷の方がまだいいかな。なんか中杉通り気持ちいよね(笑)。あ、そう多分ね、なんかそういうのがあるとこが俺好きなの、中杉通りとか、昔北千住に住んでたんだけど、荒川があってずっと自転車で走れるのよ。葛西臨海公園とかまで自転車で走れるとか。なんかそういう気持ちいい場所が多分好きなのよ。だから(西荻にある)善福寺(公園)とかはいいよ。この近辺ないからさ。だから京都のいいのは、僕は、まだ家があるんだけど、職場までずっと鴨川で行ける。ずっとそこは春になると桜の下なの。そういうのが好きだから。だからそういう場所が(西荻に)ないよね。目黒川沿いとかね、風が抜けるような。」

 

驚きの味が詰まったフレンチ風の居酒屋

Pic Nic Tokyoはワインと共にいろんな創作料理が楽しめるお店だが、料理のスタイルはフレンチを取り入れた居酒屋料理に近くなってきている、と増子さんは言う。

「ここは契約書に“フランス料理店のみ開業ok”なの。だから最初はフランス料理って言ってたけど、もういいかなって。だから最初は結構バツバツなフランス料理をやってた。でも手間かかるし、一人だし。日本のフランス料理はちょっと特殊だけど、やっぱフランスで働くと分業制だからさ、スープはスープ作る人みたいな、お肉はお肉焼く人みたいな、魚焼く人みたいな。それ全部一人でやると結構大変なの。だから徐々に徐々に、ちょっと居酒屋っぽく。」

 

「(今やっているお店は)ビストロっぽいメニューもあるけど、なんていうかな、居酒屋メニューをね、ビストロっぽくみせてるかな。だって(メニューの)“きゅうりと蒸し鶏のサラダ”とか多分居酒屋にあると思うんだよね、なんとなく。だからそれをこういうふうにしてみたりとか。あと“豚しゃぶ”とか。豚しゃぶもプルーンのソースにすると(ビストロっぽくなる)。そういう風に居酒屋メニューをちょっと騙し騙し。」


Pic Nic Tokyoを代表する料理といえば、そのユニークな見た目のポテトサラダだ。そのアイデアのひらめきにも、彼の隠しもつ才能を感じる。

「あれ(ポテトサラダ)もそう、居酒屋メニューだけど(笑)。ああいうのは、僕なんかひらめくのよ。考えたりとか別にしないし、本も読まないけど、なんか朝とかに起きたら、なんかこんなことしたらいんじゃないか、みたいな。(作り方も)多分昔なんかで、そういう似たようなことをしてると、なんかレシピが勝手に浮かぶんだよね。よくミュージシャンが歩いてたら歌詞が浮かぶとか、に近いんだと思う。なんか、こんなことしたらこんなものができるだろう、てなって、たまに失敗もするけど。だからとりわけなんかこう、すごいこう、本読んだりとか人に聞いたりとかっていうよりは、まあこんなことしたらこんなことになるんじゃないかな、みたいな。」


変わり種としてPic Nic Tokyoではカレーも提供している。が、こちらもグルメの星をとるほどの人気だ。

「カレーは片手間です(笑)。カレーね、人気だけど。講談社っていう出版社、講談社ってなんかミシュランみたいのやってるのよ、で僕そのカレーで星とってるのよ。で関東圏で、僕が星取ったときの年で、カレー屋じゃなくて星とってるのって二軒しかないの。だからそん時にすっげえいろんなインスタグラマーみたいなのきたけど、もう嫌になって一回やめたの。で、インスタに、カレーは片手間で作ってたのでやめます、みたいな。ちょっと叩かれたけど(笑)。だから今、京都とも話してるんだけど、そんなにみんなカレーが好きならカレー屋出そうかって。」


“鴨とイチジクのパテ”も、お店の定番人気メニューだそう。

「人気なのは、僕が真面目に考えた“鴨とイチジクのパテ”かな。あれは結構真面目に考えたけど。僕果物好きで、果物と何かを合わせるのが好きなんです。あと僕パテ好きなんですよ。それで鴨と無花果を合わせて作ってるんだけど。あれは、京都店初めて二年目ぐらいに、結構真面目に考えて、なんか試作とかもして作ったんですけど、当時全くウケなくて。三回くらい作ったけど、結局余って全部捨てて。もうずーっと作ってなかったの。ずーっと作ってなくて、東京にお店だして、東京だったらウケるかもと思って、数年ぶりに作ったらウケた。」

 

現在、東京店では人気の“鴨とイチジクのパテ”。しかし、これは京都ではウケなかったらしい。そこには食に対しての関東と関西での嗜好の違いがある、と増子さんは話す。

「関東と関西ってお客さんの感じも全然違うのよ。なんか、食の街大阪とか、京都の和食とかあるんだけど、あっちって、“あるもの”、なのよ。」

「たとえば、お好み焼きとかたこ焼きとかあるものがウケる。だからたとえば京都店だったら、ステーキとかソーセージとかさ、昔からみんな食べてるものは出るの。でもパテとかってなると、いきなりハードルが上がるのか、なんか興味を持つ人がすごい少なくなるの。だから大阪の人が一番食に保守的なんだよね。」


「たとえば京都で鱧(ハモ)とかあるけど、それを金目鯛とかにするといきなりウケなくなったりとか。なんかそういう感じだから。まあ最近は結構新しいのやっても、あっちもちょっとは受け入れるけど…。だからスパイスカレーって定番化してるけど、あれはだって大阪発祥だから。だから昔からあるものがやっぱりウケる。東京でカレーって言ったら神保町みたいなのがあるけど、(関西では)そんなカレーブームを(新たに)つくろうとかじゃない。」

「あるものがあっち(関西は)はわかりやすく言ったら流行るよね。わかりにくいものは、本当に有名な人とか、賞をいっぱいとってる人とかだと(売れる)。だからそういう(目新しいものを提供している)お店に行く人は料理人が多い。あとはお店で働いてるスタッフとか。俺も結構行ったけど。」

 

はしご酒文化の西荻では、飲酒が食事の中心的役割を果たす。Pic Nic Tokyoでは“飲みセット”と呼ばれる、ワインと料理を組み合わせた千三百円のセットを三種類提供しており、それを求めに毎日訪れるお客さんもいるようだ。

 

「ちょい飲みセットはうちに入ってくるとっかかりを作るって感じで。まあ三杯飲んで帰る人もいる、でも三杯飲むともっと飲みたくなる人もいる。あれおんなじワインが三つだから、違うワインが飲みたい人はもっと。違うものだと値段が上がるから。」

 

Pic Nic Tokyoが開業したのは実はコロナ禍。その際はずっと休業していたそう。コロナは我々の飲酒の習慣を、現在に至るまで変化させたことに間違いはなさそう。

「コロナ前は、結構みんな仕事でも二時くらいまで平気で飲んでたけど、その習慣が一回なくなるとみんな眠くなるし、一軒行って帰るかみたいな人もだいぶ増えたし、そもそも飲みに行かなくなった人も結構いるしね。だからいってもみんな二軒くらいなんじゃないかな。まあ、もしかしたら会社の周りで一軒行って、帰りにここくるか、西荻で一軒くらい行って帰るかみたいな。」

 


Pic Nic Tokyoの人

Pic Nic Tokyoでは数名のアルバイトスタッフも働いている。本業がモデルだったり、美術大学に通う学生など、スタッフ勢もユニークだ。彼らは、アルバイトであり、友達であり、相方のような存在、と増子さんは語る。増子さんを鼓舞し、支え、一緒にメニュー開発も行うそうだ。

お店の黒いリゾットも、増子さんが“りゅうちゃん”と呼ぶスタッフに『おしゃれなリゾット作ってよ』と言われたことをきっかけに完成したものだ。


来客について尋ねると、Pic Nic Tokyoに訪れるお客は他店同様、西荻に住んでいる人が多い。常連客と新しい客は半々らしいが、一貫して女性のお客が多いらしい。

「うちはもう女性が圧倒的に多い。八割くらい女性じゃないかな。俺が男だから。これはもうしょうがないんだよね。だからうちの京都は(女性の)相方がやってるから、おっさん多いし。京都で、俺のちょっと下の男性とかがやってる時とかはやっぱ女性が多いし。一番いいのは、(スタッフが男女)どっちもいるとなんかいいのよ、なんかこうバランスがいいっていうか。」

 

常に旅人、放浪する

彼との会話を通じて我々が感じた彼の天才肌のようなもの。それを増子さんに伝えると、「そう言われて二十五年です(笑)。」と応える。

 

最後に我々はこれからも西荻窪でお店を続けていきたいか彼に聞いてみた。

「いや、そうでもない。別にどこでもいい。あんまりこう、じっとしてる方が苦手だから。」

 

「よくもう十年も(飲食)やってるっていうのはあるけどそれはそれでいいかなって。旅が好きなんで、落ち着きがないんですよ。新しいことをやりたいっていうか、行ったことのないところに行ってみたいっていう。」

自嘲的でありながら自信家でもあるような増子さんとのお話は、今までの西荻町学のインタビューとは一味も二味も違った面白さがあった。

 

彼の料理は、馴染みのあるビストロ料理と、居酒屋的要素を組み合わせた独自の味と見た目で、お客を驚かせる。ここPic Nic Tokyoがある場所は、西荻のビストロ競争区とも言われる一方、少し中心の賑わいから離れた場所でもある。

京都に続くに店舗目として開店した西荻店。増子裕樹さんはここで食べ、飲むお客達の地元愛に特殊さを感じているよう。西荻のお客達は多様な料理を愛する地元で食べ、コスモポリタン的味覚を養ってきている。そんなお客達からは、増子さんが生み出すユニークで実験的な料理は歓迎されるのではないだろうか。(ファーラー・ジェームス、下岡凪子、木村史子 1月2日2024年)

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