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執筆者の写真James Farrer

日本人夫婦が丁寧に作る南インド料理

更新日:5月11日





異国料理のレストラン経営者及びシェフは、なぜ、日本から遠く離れた土地の食文化提供に奉仕する道を選ぶのだろうか。これは我々の西荻窪での調査の中でも目にしてきた文化的かつ学術的なトピックでもある。西荻には、中華料理メキシコ料理タイ料理などのポピュラーな料理をはじめ、ウズベキスタン料理のようなあまり知られていない地域まで、様々な国の料理を出す日本人料理人がいる。南インド料理「ミールス屋 とら屋食堂」もその一つである。南インド料理に惚れ込んだ榊正弘(さかき まさひろ)さんと榊紀子(さかき のりこ)さん夫妻の旅は、ケララの料理を提供するだけでなく、お店のイベントでケララ州の祭りを祝福するまでに至っている。また、彼らの旅に欠かせない存在なのが、南インドの食文化や伝統を取り入れた日本人の料理人コミュニティだ。彼らと共に経験とレシピを共有し、料理コミュニティを築き上げている近所の小さなレストランとの旅を通して、その道の奥深さを探ってみたい。

 

榊さん夫妻と南インド料理との出会い

これまで取材してきた多くの夫婦レストランと同様、紀子さんが接客、正浩さん(愛称『とらさん』)が厨房を切り盛りしている。今回は、南インド料理店を始めるに至った経緯から紀子さんにインタビューした。

「南インド料理に最初にとらさん(夫の正浩さん)が出会ったのは、大森にあるケララの風モーニングっていうお店に関係があるんです。そこのオーナーシェフの沼尻(ぬまじり)さんが商社マンの駐在員としてインドのケララに赴任した時に、ミールス(南インドの定食)を食べて『あ、これはとても日本に合うな』と思ったそうです。日本に帰ってきたけれど、その時はまだ北インド料理の方が盛んで、あんまり南インド料理店がなかったそうなんですよ。で、仕方がないから自分で作ってみた、そして家族に食べさせようとしたらあんまり好きじゃなくて(笑)。じゃ仕方ない、誰かに食べてもらいたいってことで、公共施設で『ミールスを知ってもらう会』みたいなことをやってらっしゃって、それが結構定着してきた百回目の『100人ミールス』というイベントにとらさんが初めて行ったんです。当時沼尻さんはまだ 月曜から金曜は商社に勤務するサラリーマンをやりながら土日、祝日はそういうイベントをご自分でされて。そのイベントを埼玉の上尾でやった時にとらさんが初めて行ったんですね。それが最初の出会いで。」


正浩さんは沼尻さんの経営する店の元では働いたことがないものの、彼の料理イベントに参加しており、それがきっかけで南インド料理と深い関わりを持つようになったそうだ。

「イベントでミールスに出会ってからは、できるだけ都合を合わせて沼尻さんがやるイベントについて行って荷物運びしたりお米炊くの手伝ったりして、沼尻さんの調理を見ていました。沼尻さんは沖縄から北海道までイベントをやってらっしゃるんです。呼ばれたら行くみたいな感じで。でもあくまでもアマチュアでやってらっしゃってて。その後、沼尻さんはお店を出すと同時に、私たちに『そういう活動一切やめます』宣言をされました。お店の宣伝になっちゃうので、イベントはしませんって言ってやめたんですね。そしたらやっぱり、(イベントが)懐かしい、また食べたいという方がいらっしゃって。で、まあとらさんが見よう見まねで作って、食べていただいたりして。気がついたらとらさんも仕事以外の日はそういうことをし始めたみたいな感じですね。で、お店をここに出したのは、五年前の二月。間借りという形で始めました。でもスタイル的にはもうその沼尻さんがやってらっしゃるお店とほぼ同じスタイルでやっていたんです。お店を持ちたいなって2016、7年ぐらいから言い始めまして、物件探してもらったりしてたんですけど、これっていうのが無くて。で2018年に、ここを紹介していただいて。」

そして、南インド料理のイベントを手伝ううちに、自らも店を持つことになったそうだ。


「大家さんは、元々ここでカラオケスナックをやってました。初代はカラオケスナック。次はブックカフェ、そしてスリランカ料理(とびうおKitchen)で、とら屋食堂だそうです。最初のカラオケスナックはものすごく儲かったそうです。ちょうどバブルで。儲かってしょうがなかったって笑ってらっしゃいました。相談にも色々乗っていただいて。お借りする時も(相談に)のっていただいきました。間借りの時も、大家さんと不動産屋さんと、ここを借りてらっしゃる方との契約書をとらさんが作って、保険も契約してから始めさせていただいたんです。」

「とら屋食堂」開店当初は、「間借り」だったため、物件を昼は榊さん夫婦、夜はスリランカ料理とあご酒を提供するとびうおKitchenが使っていたそうだ。

「そうですね。ただ、そうしてたんですけど、お互いがくたびれちゃって。結局ランチ終わって片付けるのにも洗い物とかも大変なんですよ。で、あちらも夜は夜で仕込みがあるんです。どっちもスパイスだから匂いとか問題ないんですけど、全く扱っているものが違うので。例えば夜お寿司屋さんだったら大変じゃないですか(笑)。そういう意味では匂いは気にならないけど、使ってるスパイスも全然違うので。じゃあもう縦に決めましょうと。何曜日と何曜日はとら屋食堂で、あとの日はとびうおKitchenさんがやりましょうみたいな感じになったんです。でも、だんだん私たちの比重が多くなっていて、最初は半々だったんですけど、最後は週に五日ぐらいうちがやるみたいな感じで。そちらのお店も(物件の)契約を『更新しない』とおっしゃったので、じゃあ、そのままうちが契約させてもらえませんかって大家さんに言ったら、『知らない人が来るよりいい』って言ってくださって。」



サラリーマンから料理人へ

正浩さんは西荻で店を持つ前は、不動産会社に勤めるサラリーマンだったそうだ。

「今でも、頼まれて不動産の仕事したりとかしているんですけど、まあ今のメインはこっち(とら屋食堂)です。」

大きなキャリア転換をした正浩さんだが、南インド料理に出会う前から料理をすることが好きだったそうだ。

「いろいろ作ることは好きでしたね。別に南インドだけじゃないですけど、韓国料理とか、家でサムギョプサル焼いたり。結構凝り性で。その時は別に二人で食べればいいっていう感じで、別に他の誰かに食べさせようと思ってなかったと思います。やっぱり南インド料理作り始めてから、誰かに食べてほしい。だからお友達のところに行って、キッチン借りて作ってみたり、最初はそんな感じでした。仲良しの中でやっていたのが、だんだん『お友達も呼んでいい?』とか、『十人ぐらい来るからやって』とか、そういうふうにだんだんなってきて、規模が大きくなってきて。で四十人ぐらいの人たちを常にやるような感じになってきたという感じですかね。で、気がついたらなんかお店をやりたいかもとか言って。」


正浩さんが南インド料理に惹かれた一つの大きな理由は、胃に優しいことだと言う。

「彼(正浩さん)が一番言ってたのは、とにかく胃もたれしない。すごくよく食べる人で。インドのナンなんかをものすごく食べるので、ナンキングって呼ばれてたんですけど、でもやっぱりある一定の年齢になると何枚も食べたら、食べられない訳じゃないけど、胃がもたれる料理だし、北インドカレーとかもあんまりいっぱい食べると、ちょっとしんどくなってくる。負担がかかるし翌日が苦しいって言ってたんです。でも沼尻さんのところでミールスを初めて食べた時、いっぱいおかわりしたのに全然軽くて。これは違うって思ったそうです。それが一番。もちろん美味しいのは大前提ですけど、それ以上に体がこう訴えてくる『これはいいぞ』って。非常にこう感銘を受けたって言ってますね。」

「あと、やっぱり出来たてなところですかね。油も確かにギーも使うけど、絶対的に量が少ないですね。それから油も新鮮なものを使います。沼尻さんがイベントで作るときは、その会場で作るわけですから、その場で買ったものをすぐ調理。今日買ったものを今日調理して今日食べちゃうっていう。だからこう、日本でよく翌日のカレーがおいしいとかっていうのではなく、出来てすぐの料理がやっぱり一番おいしい。そういうところも良かったじゃないんですかね。」


日本人料理人のネットワークを通じて、南アジア料理の作り方を学んだ正浩さん。彼は現地インドに料理の技術を学びに行ったのだろうか?

「あんまりその必要を感じてなかったみたいです、彼は。もちろん、お店を出すにあたって。一応現地に行ってみようということになって、沼尻さんと、荒川遊園にあるなんどり』というお店の稲垣(いながき)シェフと一緒に行ったんですよ。もちろん、そこで料理教室ににも行きました。有名な先生にも教えてもらいましたけど、それよりも町で食べたりすることの方が新鮮だったみたいですね。テクニック的なものよりも、何でしょう?『あ、こういう組み合わせをするとおいしいかな』とか、そういうことの方が良かったみたいですね。」



紀子さん曰く、とら屋食堂中ならではの南インド料理へのアプローチは、サラリーマン時の美食体験によって培われた正浩さんの感性に基づくものだという。

「元々、出張族だったんですね。で、打ち合わせなどで外食する機会も多かったようなんです。『そんなお店でそんな料理食べたんだ』みたいな経験が、非常に役に立ってるんじゃないかと思います。やっぱり食べてきた積み重ね。これとこれはこう食べて、こういう風に調理するとか、こういう風に盛り付けて出すとか。日本料理だったり、中華料理だったりフレンチだったり。イタリアンだったり、いろんな。インド料理だけじゃない、スパイス料理があったり、そういうのを色々食べてきてるっていうのも私は大きいんじゃないかなって横にいて思うんです。だから日本の素材を使ったインド料理っていうか、うちはけっこうよく出すんですけれども、そういう時に、やっぱり私には思いつかないな、って思うんですよね。食べてきた積み重ねはやっぱりあるじゃないですか?それプラス。そのスパイスとかテクニックはもちろんベーシックなものがあると思うんですけど、それだけじゃない気がします。このお店を支えてる『とらさんならでは』という何かそういう魅力的な部分ですね。」

とはいえ、業界での経験がまったくない状態でレストランを始めるのは、やはり困難だった。

「とにかく、実地経験がないんです。いきなりなので、何をどうしていいか。接客もそうですし、私もずっとサラリーマンでしたし。例えば『実家が飲食店をやってました』とか、『飲食店でしばらく見習いをやってました』とかがないんで、すごく大変でした。でも、諸先輩方がいろいろ教えてくださって。」

「例えば店舗のことについては西荻窪のいろいろな方達とか。あと三軒茶屋で二週間だけ、西荻で間借りを始める前にお約束してたところがあって。カフェのコックさんが新婚旅行に行くので、その代わりに来てくださいって言われて行ったんです。ここ(とら屋食堂)が始まってすぐぐらいで行ったんですけど、その時にそこのオーナーさんから、もうそれこそお水の出し方、注文の取り方、メニューの作り方まで全部教えていただいて。夜中の十二時過ぎまで私たちと皿洗いを一緒にしてくださって。あの方にはもう足を向けて寝られないんですけど、もう一から十まで。もちろん、値段の付け方まで。」

「どうしても、インド料理ってお値段的に安くなっちゃうんです。どっちかというと。でも三軒茶屋という土地もあって、『あんまり安いと美味しくないんじゃないかと思われるからダメだ』って言われて、これくらいのポーションでこれぐらいの値段。っていうのを、すごい彼女の中でも吟味してくれて。こういう攻め方をした方がお客様の心をつかみやすいとか、注文しやすいメニューはどうなのか?そういうことを叩き込んでくれました。たった二週間でしたけど、ものすごく濃い二週間でした。」



現地の素材の活用

南インド料理には日本では馴染みのないスパイスがたくさん使われている。 正浩さんが斬新なこれらの食材を使った料理をどのように学んだのかを聞いた。

「沼尻さんや、あとYouTubeとかを見て。この間、マサラワーラーっていう、彼らがレシピ本を出したんですけど、それはもちろん彼らが磨きに磨き抜いてきたレシピなんですけど、彼らが最初のころどうやって南インド料理を勉強しましたか?って聞かれてて、『YouTubeです』って、言ってました(笑)。あの本当にね、南インドのレシピの動画がものすごくたくさん。それはもう一生懸命見てました。インターネットで学ぶのが本当に楽になって、すごい面白い時代だと思う。だって香りがわからないんですよ。味がわからないんですよ。でも、すごく吸収できるみたいで。同じように、香りと味がわからないものなんですけど、インドで出版された料理本なども、暇さえあれば見ていますね。」


インド料理の醍醐味であるスパイス。南インドの代表的なスパイスなどはあるのだろうか。

「マスタードシード、あとタマリンド。タマリンドはサンバルとかラッサムの酸味の素ですごく食物繊維も入ってます。マスタードシードはほとんどの料理に入ってますかね。例えば、ダール。ご飯の上にかけているのですが、これは調理の最後に、ほんのちょっとの油にマスタードシードの香りを移して、ジャッって料理にかけて風味付けしたりするんです。だから最初から油でわーってやるんじゃなくて、豆を先に煮て最後に、シーズニングですかね。そういう手法によって油が最小限に抑えられてるっていうのもあるんです。」

「マスタードって言っても、黄色いんじゃなくて黒いちっちゃいもの。黄色とは品種が異なりますね。もちろん、マスタードシードが入ってない具材もあります。」


代表的なマスタードシード、タマリンドの他にも様々なスパイスが使われている南インド料理だが、日本では手に入るのだろうか。

「以前は『南インド料理の中でこれとこれはやっぱり日本では手に入りづらいね』っていうのはあったんですけど、今はほとんど手に入ります。それだけ日本人が詳しくなってるんです。詳しくなってるから、欲しいって言うじゃないですか?新大久保だったり、葛西とかに住んでるインド人コミュニティが日本人が欲しいって言うから取り寄せるわけですね。もう本当にもうびっくりですね。そんなものも買えるんですか?ってくらい買えます。この間、土日にお祭りやってたんです。その時にパッティンガムというピンクのお水を出すんですね。木の皮を煮出して、ラブリーな色になるんです。味はないけど、すごく身体にいいとインドの人が言ってるものです。ただしエビデンスはありませんが(笑)。それなんか、日本では買えなかったんですけど、今は買えるそうですからね。私たちは、(パッティンガムを)インドに修業に行った人たちにお願いして分けてもらってたんです。それが普通に買えますって。え、そんなニーズが?みたいな。まあ色が可愛いので、みんな出したいなと思ったんでしょうか。」


日本で手に入るようになった珍しい食材は他にもある。

マッタライスという赤米もなかなか手に入らなかったんですが、今では普通に売ってます。ただ、これ(マッタライス)は超庶民が食べているものなんです。現地の超庶民が食べるものと超高級米のバスマティライスが同じお値段。マッタライスはインド政府があんまり好んで輸出してないです。バスマティは外貨獲得のためにどんどん進出しておりまして、これ(バスマティ)は皆さん知ってるんですけど、マッタライスは知らないと思いますね。日本では、欲しいという方がいるから輸入してるわけです。」

しかし、とら屋食堂ではランチにはタイ米を供している。

「そうです。基本はタイ米。この二つ(マッタライス、バスマティライス)はお祭りとかのイベントに使う感じです。普通から現地でも食べられているこのマッタライスでもいいんですけど、絶対的なコストが高いのと、バスマティは香りが華やかすぎるので、うちのランチには向かなくて。お野菜の香りが分かんなくなっちゃうんです。」

とら屋食堂のランチのミールスはベジタリアン仕様になっている。

「ランチミールスはベジタリアン。ヨーグルトを使ってるんです。ヨーグルトを豆乳由来の商品に置き換えれば、もうビーガンになります。ビーガンのお客さんも結構いらっしゃいます。ベジタリアンの方だけじゃなくて、ここに来た時ぐらいベジにしようかっていう感じの方もいらっしゃる。普段肉ばっかり食べてるから、お野菜いっぱい食べようかなとか。でも肉系のものが無いと寂しいってこれ(ランチミールス)に追加で頼む方もいらっしゃいます。」


夜にもミールスを提供している。

「夜はバスマティ。バスマティライスに合うおかずを出します。味がちょっとリッチなんです。おかずもリッチな感じで。五〜六人集まれば、貸切で好きなようにアレンジしてやります。一番多くて十六人くらいまでいけます。今まで最大で十九人のパーティをやったことあります。コロナ前ですけど。」


夜の営業ではお酒も提供しており、斬新な材料を使用しているとのこと。

「うちの一番のお勧めはカルダモン焼酎。スパイスが入ってる。キープしてらっしゃる方もいて。お店で作っています。半年ぐらい経ってからお客様に出します。飲み比べセットみたいなのもあって、三種類あるんですよ。麦焼酎ベース、米焼酎ベース、米焼酎の吟醸酒。飲み比べセットを飲んでキープを入れる方が多いです。先週からちょっと試し始めたんですけど、『居酒屋とら』って。ミールスは出さずに、おつまみみたいなものを出して。アルコールを飲まない方も大歓迎ということで、一応お酒がなくても大丈夫ですよっていう。こういうのも楽しい。もちろんお客様にも楽しんでいただきたいですけど、やってるこっちが楽しいんです。」

「このカルダモン焼酎の一号は、なにかで割ってもおいしいんですよ。ただソーダとか水でもいいのですが、いろんなもので割ると更に楽しい。それを試す会っていうのもあって。皆さんで『これは合うんじゃないか』とか持ち寄っていただいて、おつまみはとらさんに作ってもらって。皆さんが持ってきたもの飲み比べて。今殿堂入りしているものが、カルディさんのパァッションフルーツ五〇%っていう。この間の優勝がひげ茶でした。韓国のとうもろこしの。これはもういつまででも飲んでいられるっていう。パッションフルーツは味が濃いので飲み続けられないって参加したお客様がおっしゃってました。また、来月もやる予定です。」



『南インド料理』コミュニティの結束力

榊夫妻は、南インド料理を料理人として提供している日本人の幅広いコミュニティに参加したころから、南インド料理レストランのビジネスに参入した。ケララ州の人たちとの交流もある一方、あくまでもこのコミュニティは南インド料理を愛する日本人のコミュニティである。


前述したイベント「100人ミールス」で南インド料理に魅せられて以降、榊夫婦は「MEALS READY」というイベントに参加していた。

「『MEALS READY』はケララの風の沼尻さんが中心になって企画したイベントです。若手六チームが一週間毎にケララの風のお店をお借りしてミールスを出したんですけど、この方達は全員日本人で、南インド料理が好きで、沼尻さんの影響で始めた方も多いんです。」「大人気店だったケララの風という沼尻さんのお店が、ミールスの提供をやめますよって、もし事前に言ったら今まで百人来てるのが二百人来るじゃないですか。だから辞めた日の夕方に、今日で終わりましたって発表したんです。お客さんたちも大騒ぎだったんですけど。その次の週から、『うちは辞めるけど、うちの仲良しのシェフが料理を出すので、皆さん食べに来てください』というイベントを組んでくださったんです。

「とら屋食堂では一日多くても三〇人ぐらいのお客様ですが、この大森のケララの風でのイベント(MEALS READY)の時に、一日百人来るんですよ。もちろんケララの風の奥様もお手伝いしてくださるし、沼尻さんご自身、そしてアルバイトの人も来てくださったんです。これまでにない経験でした。もうなんか開店からずっと反復横とびをし続けている感じでした。でも、それを経験してこっち(西荻)に帰ってきて、ずいぶん変わりました。」

「大人気店だったケララの風という沼尻さんのお店は、規模はとら屋食堂の一.五倍ぐらいのお店なんです。でも、繁盛しすぎて『しんどいので辞める』と今は辞めて、ティファンっていう、ご飯じゃなくて、軽食を提供されています。」

これ以降このイベントは行われていないが、出展していた料理人たちとは今でも仲が良いそうだ。

「全然場所がバラバラで。荒川だったり、うちが杉並区でしょう?で、群馬県だったり長野県、千葉県と。ずっと全国をイベントで回ってる人たちだったり。」

イベントに参加していた料理人は元々は全く異なる業界にいた人ばかりだそうだ。

「全然違います。エンジニアだった方もいるし、畑違いの方がほとんどですね。沼尻さんに魅せられた人たちも多いです。」


全く異なる業界から料理人として新たな道を歩んだ榊さん夫妻も同様だ。このイベントを様々な人に支えられて完走したことは、料理人としての大きな一歩となった。全国にまたがる南インド料理を提供する料理人たちのコミュニティは、榊さん夫婦の料理人としてのキャリアに欠かせない存在だと言えるだろう。現在でも、彼らとのコミュニティは維持されている。

「SNSコミュニティはX(ツイッター)とかフェイスブック。で、お互いのツイッターとかを見ながら、あ、今こんなことやってるんだなって、応援リツイートとかリポストしていただいたりということももちろんありますし参考にさせていただいている部分もあります。で、やっぱり先輩方は『(経営が)厳しそうだな』と思ったら、必ず食べにきてくださって。大丈夫?みたいな、大丈夫だからね、みたいな。こういうときもあるある、って。そういうのもすごくあります。一応、今はそんなに一緒に何かやったりすることないけど、連絡を取り合ったり。お互い頑張ってるなって。」

「でも南インドの料理店はここのチームだけじゃなくて、横も。西荻って三つ南インド料理店があって。大岩食堂タリカロさん。この三つも結構横のやり取りがあって。あ、今こんなことやってる。だからうちもじゃあこんな感じでやろうかな。最近どうですか?とかやり取りしたりとかしてます。」



特別なイベント

『居酒屋とら』等、通常のミールスだけでなく、イベントを定期的に開催している。最大のイベントは、ケララ州の伝統的な祭りにちなんだ料理を提供する、年に一回の『オーナムサッディヤ』である。ケララで毎年開催されるオーナム祭で提供され、二十四〜二十八種類の料理が一枚のバナナの葉に盛り付けられる特別なミールスだ。今年も八月に開催され満席だったというそのイベントについて、詳しく伺った。

「オーナムっていうのがお祭りの名前です。サッディヤっていうのは、とにかくお祝い料理みたいな、特別なお料理のイメージなんですね。だから、オーナム祭りのための特別の料理っていう意味です。オーナムがケララで一番大きいお祭りなんです。一回、私たちも現地で食べたんですけど、本当に楽しかったです。(インド神話に登場するマハーバリ王様が帰ってきて、その食いしん坊の王様のためにみんなで用意するごはんなんです。王様のレプリカとかポスターとか王様の格好した人とかが歩いて、でも町中がお花に包まれてすごい楽しい。美味しいものをみんなで食べて、お家でもちょっと豪華なものを用意して、レストランではもちろん、その週末は南インドのケララの人たちが営んでいるお店はオーナムサッディヤを用意します。うちより広いお店だとちゃんとフルバナナリーフが来ますからね。うちも本当は一枚もので行きたい。来年もやります。」

とら屋食堂ではオーナムサッディヤの際、全部で二十九種類もの料理を出しているという。

「特別な食材は、うちは使ってないです。特別なデザートは用意してます、その時だけの。」

マンゴーパヤサムという、乳製品を使わないヴィーガンのデザートは、現地のサッディヤで実際に食べたものを甘さ控えめにアレンジしている。とら屋食堂のNoteに、提供する全種類の料理の細かい説明を載せてるそうだ。


また、オーナムサッディヤは間借りで始まった頃から榊夫婦が続けてきたイベントだ。

「間借りを始めた時から。やってみたかったんです。ただ、昨日の夜来たお客さんも言ってたんですけど、これを夫婦二人でやってる店はないと思う。やっぱスタッフが最低五、六人ぐらいいて。もっと大きいお店が多いんじゃないですかね、毎年朝五時ぐらいに、すごい後悔するんですよ(笑)。なんでこれをやろうと思ったんだろう?誰がやりたいって言ったんだ?私か。みたいな。こういうのは、だいたい私がやりたがる、とらさん(正浩さん)に言って、とらさんがいいよって言ったらやる。まあいいけどみたいな感じでやる。イベント、お祭りをしたいって思います。せっかくですからねって思うんですよ。せっかくインドでこんな素敵なお祭りがあるんだったら、ちょっと真似っこじゃないですけど、やりたいなと思って。」


また、インドで実際に行われている行事に沿ったイベントだけでなく、「リクエスト」という形で、お客さんの要望によってお祭り(イベント)をやることがあるそうだ。

「お肉ばっかりの祭りをやってるんですよ。この間、牛タンのリクエストがあって。あとは牡蠣祭り。あと、羊はもう大人気ですね。だからそういうのもやりつつ、ビーガンの方向けの食事会とかもやります。」

リクエストは常連さんによって挙げられるのだろうか。

「別に一見さんでもいいんですけどね。リクエストで人が集まったらやりましょうって。SNSで集めます。X(旧ツイッター)とかインスタとかでフォローしてくださってる方が見て連絡してくださる。あと、ラインの公式アカウントもあります。」



西荻コミュニティと「とら屋食堂」

顧客との繋がりはどこの個人店にとっても重要だ。榊さん夫婦の住まいは埼玉のため、西荻での開店は地縁ゼロからのスタートだった。

開店当初はお客を集めるのは大変だったのだろうか。

「いや、これがですね。初めて出来たばっかりのお店は、お客さん来るんです。一番厳しいのは三カ月経ったぐらいです。私たちのお世話になった方たちが、カレーグルメみたいなブロガーさんとか多くて。いろいろ書いてくださったんですよ。それを見て来てくださる方もいて、特にお金をかけて宣伝したわけじゃないんですけど、その方たちの文章を読んで来てくださった方が結構いました。」

西荻に住む隣人だけでなく、遠方からのお客も多かった一方、開店して三ヶ月後は経営が苦しくなったという。

「二月に間借りオープンして三か月ぐらいゴールデンウィークぐらいまではまあよくて、それが終わってゴーンと落ちた時やばいなと思ったら、dancyuさんという雑誌の、間借り特集というのがあって、うち載ったんですよ。しかも魯珈さんの隣に。もう、『えっ、恐れ多い』みたいな。文章もとても上手で、そこでまた上がって生き延びました。あそこで dancyu に載らなかったら、もうやめてたかもしれません。」

現在訪れるお客は、常連と新規が半分半分だという。新規のお客は西荻近辺に住んでいる人なのだろうか。

「最近は近くの方が多いです。やっぱりコロナを挟んで変わりました。コロナ前は遠方の方が多かったです。いわゆるカレー好きとか、そういう、ちょっと珍しいものが食べたい方や雑誌を見た方。最近は近くの方が『そう言えばなんかあのお店、新しくなってたよね』みたいな感じで来てくださって。お客様の層は変わりました。」

「男女の比率としては、女性が六〜七割じゃないですかね。男性は三割ぐらいです。男性のお客さまでもすごい常連の方はいらっしゃいますけど、大人しいです。女性の方がやっぱり積極的かもしれない。」

お客は店名や店の内装にまで影響を与えている。店名は、正浩さんの愛称『とらさん』が由来である。元々お店の名前にするつもりはなかったが、お客達からの熱いすすめで店名となった。

「とらさんの『とら』はフーテンの寅じゃなくてトランザルプっていう、ホンダのバイクがあって、それの『とら』です。とらさんはここのお店のこと『ミールス屋』にしたかったんですけど、みんなが先にとら屋食堂って、食事会していた頃から言ってたので。それをわざわざ変えなくてもいいでしょうって。一応『ミールス屋とら屋食堂』っていう正式名称。お客さんからいただいた名前なんです。皆さんで寄ってたかって、いろいろやっていただいたようなお店です。あと、店内に飾っているてぬぐいなんですけど、これも、元々はうちの常連のイラストレーターさんが絵を書いてきてくれて、それが可愛いので、なんかできたらいいね、とかって言ってたんです。そしたらかまわぬさんって、てぬぐいのブランドに勤務されている方々がたまたまここで食事をして、ミールスを作る教室に来てくれて。みなさん素敵な手ぬぐいを持参されていたので話しを聞いてみたら、実はてぬぐい屋さんの方々だったんです。うちもオリジナルのてぬぐいを作りたいですって話をしていたら、出来ちゃったんです。二周年記念で作りました。「注染」という昔ながらの作り方、手仕事なんですよ。絵柄はこちらで決めましたけど、色などはお客さんからの意見も聞いて決めています。現時点で、ですけど、世界に多分一つだけのミールスの手ぬぐいです。

 榊さん夫婦にインタビューをしている間もお客同士の会話が途絶えることはなかった。お客同士の会話で店内が賑やかであることは、とら屋食堂の特徴と言えるだろう。

「この間もゴールデンウィーク前に、たまたま全然別々の団体の方達なんですけど、ゴールデンウィークどこに行く?という話になって。情報交換勝手にし始めて、Googleマップを共有したりとかして、せっかくだからこのメンバーでもう一回、ゴールデンウィークはどうだったって話をしましょうよって言って、その日のうちに予約されて帰られました。旅行後、皆さんそれぞれお土産を持ち寄って、ああだこうだ言いながら、買ってきたオイルだったり、香辛料だったり。インドじゃないですよ。台湾のものだったりを、とらさんに渡して何か作ってもらったりとかしていました。そういうのはやっぱりうち独自じゃないかな、って思います。」



コロナ禍を経て

とら屋食堂が二周年記念を迎えたのは、コロナ禍の2020年。緊急事態宣言が発令されていた際は休業をしていたという。

「厳しかったですね。うちはもうスパッと休んで、ずっと新潟に引っ込んでたので。休めって言われたときは全部休んでました。補助金も頂いてましたけど、まあ、私たち子どももいないので、まあなんとか、飢え死にさえしなければって言ってました。」

緊急事態宣言が明け、営業を再開した頃には西荻のある活動に助けられたという。

「コロナ中に、西荻地区で西荻の店にお金を落とそう運動があったんですよ。テイクアウトでも、何でもいいから、とにかくお金を使おうっていう。フェイスブックの西荻テイクアウト会とかいうのがあって。ポスターも『良かったら貼ってください』って。コンビニで印刷できるデータをいただいたので、すぐ印刷して貼りました。本当にあれで西荻のお店でお金を使いたい人たちが、私たちにも気が付いて下さって。うちは分かりづらい場所なので(ポスターを)見てくださって。それから結構良かったですね。あれは本当にありがたかったです。今まで来店されたことのないお客様が来て下さって、その方達は今でも時々来てくださって。それも、西荻だったから良かったなって。違うエリアだったらなかったと思います。西荻だからやってこれた、あったかいなあと思いました。歩いてすぐのところから毎日来てくださってきてくださる人もいて。」


現在、お客さんの数は戻りつつあるという。

「そうですね。(2023年)七月はすっごい悪かったんですけど、八月になってから割と。このまま行ってくれれば大丈夫かな、儲かりはしないけど、まあ二人で暮らしていけるという感じです。」

「七月のある日、来店者がゼロの日があったので、八月に一ヶ月お試しで『サブスク一ヶ月何回来ても一万円』っていうのをやりました。七月中にお金を一万円くださった女性の方三人、とにかくその方々が来てくだされば(客数が)ゼロじゃない。実は、七月のその日、ゼロだったことにびっくりして。しんどいなと思って、とらさんと二人で『今日、もしゼロだったら、八月何か考えようかな』と思って考えたのがサブスクだったんです。とらさんは『誰もそんな話には、のって来ないよ』って言ってたんです。ランチミールスは一五〇〇円なので、七回くれば元が取れるんですね。ってことは三日に一回くるような計算なので。そんなに来るかな、とか言ってたら、三人申し込んでいただいて。本当によく来てくださる。しかもお友達連れてきてくださる。サブスクって(来店時に)払うお金無いはずなんですけど、必ず何か追加で頼んでくれます。ありがたい。手ぶらで来て手ぶらで帰れるっていうのがサブスクの良さだと私は思ったんですけど。そういうところがやっぱりありがたいんです。」



「南」インド料理店のこだわり

自分達が昔から食べてきた料理ではないものを作る。これはかなり難しいことだろう。しかし、榊夫妻は南インド料理独自の食材、技術、調理法を学ぶことに余念がない。

「手数が多くない分、差が出やすいとかそういうのはあるような気がします。一気に出すメニューを準備しなきゃいけないものも多いし。で、それもね、前の日から…とかってやると途端に美味しくなくなるので。」

「シンプルなだけに如実に出るんですよ。だからお野菜も、例えば、そんなに高級な、オーガニックじゃなきゃいけないというわけじゃないんですけど、例えばもうこれダメかなっていうのを使うとダメかなっていう味になります。だから生産地は大事ですし、フレッシュさもとても大事です。だから、時々、その現地に行って、現地の方たちが作ったお野菜でお料理を作るというイベントのお手伝いに行く時もあるんです。けど、それはもう美味しい。めちゃめちゃ美味しいです。だって、さっきまで畑にあったのを持ってきてくれるんですからね。それを参加してくださった方々が切って、とらさん(正浩さん)がその場で料理する。美味しくないわけがないんですね。やっぱり違いの部分は料理の味に帰ってくるのが南の料理だと思うので、私は。ごまかせないですね。もうそれこそ、いっぱいわーって入れていっぱい煮たり、焼いたり、ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃするようなお料理だったら多少はごまかせるのかもしれませんけど、基本的にさっと炒めるとか、さっと煮るっていうスタイルなんで。」


お客に美味しいものを届けるためには手間を惜しまない榊さん夫婦のこだわりは、ミールスに添えられているインドのドーナツ、ワダにも現れている。

「ワダなんかも、事前に揚げて置いとけばすぐ出せるんですよ。でも、せっかくならやっぱり美味しい方がいいかなって。お客様がいらっしゃってから形を作って、揚げるので、それなりに時間はかかるんだけど、だけど美味しい方がいいっていう人が来てくれればいいなと思って。こだわりの一つでもあります。」

榊さんご夫妻曰く、とらや屋食堂のお客の九十五%ほどが日本人だそう。だが、つい最近、我々がたまたま店を訪れた際、たまたま南インド出身のお客が隣に座っていた。彼は流暢な日本語を話しており、私たちはつい料理についてどう思うかを尋ねてしまった。日本には長く滞在しているのだろう。とら屋食堂を訪問するのは四回目だそうだ。繊細な味の料理が好きな彼にとって、とら屋食堂は東京で最高の南インド料理店の一つだと言う。またカルダモン焼酎を大いに楽しんでおり、日本の居酒屋文化であるボトルキープ(ボトルごと購入し、レストランに預けるシステム)をしていたこともあったそうだ。

ケララ料理を趣味としてだけでなく、キャリアやライフワークとして受け入れている日本人の料理人がいることは意外かもしれない。レストランの経営者でもある榊夫妻は、志を同じくする料理人やレストランの経営者という幅広いコミュニティとつながりがあるだけでなく、西荻窪に住む好奇心旺盛で健康志向の顧客層ともつながりがある。ケララから西荻窪までの距離は遠いが、美味しい食べ物がある店はその距離を問わずにお客達から愛される居場所になることができるのだ。(ファーラー・ジェームス、矢島咲来 、木村史子 4月19日2024年)


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