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西荻の移民起業家

パンジャブ料理レストランシタルは、西荻にあるインド料理屋の中でも人気スポットだ。三十年の料理経験があるガイレ・プーラン・プラサードさんが店長である。店名の「シタル」はガイレさんの娘さんの名前だ。彼女は中学校を卒業した後、父のレストランの手伝いをしていたが、今は結婚して子供も持ち、レストランの手伝いをする時間が取れないそうだ。現在ガイレさんは成功した移民起業家として、西東京、吉祥寺店と三鷹店を含む三つのシタルレスタランを経営している。

 

ガイレさんは北インドのパンジャビスタイルで料理を提供している。

「パンジャビ料理はちょっとコクがあって、ジャガイモとかお米の料理が多い。パンジャビだとロティ、ナン、バスマティライスがある。」

ガイレさんはネパール人だ。ご両親と共にインドに渡り、幼少期をインド北部のデリーで過ごした。彼に日本に来た理由をうかがった。

「たまたま(笑)。」

だそうだ。

「まずは私はもともとシェフなんですよ。インドのホテルの厨房で何年間か働いて、それから転勤で香港に来て、香港でその会社辞めて、別の会社で四年間ぐらい働いた。それから日本に来て、福岡の町に来ました。最初。」

ガイレさんが日本でシェフとして働くきっかけとなった会社は、大きなレストランの会社だった。彼は1992年に結婚して、すぐ日本に引っ越したそうだ。そして、レストランシェフとしてのキャリアをスタートさせた。福岡の天神、熊本、長崎、沖縄、大阪…と、その会社が持つレストランで十一年インド料理を作った。そして、自分の店を開く夢を実現させようと退職を申し出た。会社からは反対されたが、

「私はこのぐらい働いたから自分で辞めます、ってことでやめた。」

と語ってくれた。

 

故郷を飛び立ち海外で仕事をすると、カルチャーショックはつきものだ。ガイレさんも故郷では考えられなかった、主教的なタブーと料理人としての信念の間での激しい葛藤を経験した。

「私は本当はヒンドゥー教なんです。インド教の。牛を食べてはいけない宗教なんですよ。香港のホテルで働いてるとき、店長がイギリス人だったので、ホテルのパーティのとき私がビーフとか作るんです。そこに働いているフィリピン人とか香港人とかイギリス人とか中国人とかに味見してもらって、それで一年ぐらい作ったんですよ。それで一回お客さんからちょっとクレームが入って。『しょっぱい』とか『味が美味しくない』とか。で、店長に『あなたが食べなさい』って言われて。私はそれまで口に牛を入れたことがなかったんで食べなかったら、店長に怒られました。私は宗教上の理由で牛が食べれないんですって言ったら、店長が『仕事か宗教か選んでください』って。『あなたの仕事はこれだからこれを食べなきゃいけない。自分で味がわからないものは他のお客様に出してはいけない』って。それで私は、そのときは、まあ、食べて、味は大丈夫だったんですけど、ちょっとしょっぱかったのですぐなおして、あとからおいしいって食べてくれました。」

しかし、一方で、香港での経験は彼にとってポジティブだったとも言う。

「香港で働いてるときは、そのとき香港はイギリスだったので、イギリスだとかインドのホテルだとかのパーティーで、インド政府の担当持って料理作ったとき、いっぱいチップをもらいました。たくさん、おいしいって言って、イギリス人の方がチップくれました。香港で働いていたときは給料ノータッチで、チップで生活できました。」

「私の作ったカレーをみんなおいしいって言って食べて、私の働いたところの売上もよかったので。社長さんも私の料理を好きだった。将来、お金があれば自分のお店を出そうかなって考えたんです。」

実のところ、レストラン以外の仕事も選択肢にあったそうだ。

「友達が車の仕事やってたんですよ。新潟で。新潟に行って車の仕事やろうと思って半年ぐらいやってたんですけど。でも、むこうはあまりうまくいかなったので。運転できるけどなかなかわからないから。バランスが難しかったので。」

車の仕事のさじ加減はどうしても掴めなかったそうだ。その後、レストランをやるために上京する。

「東京に来て場所さがして。いろんなところ探したんですけど、この場所が気になったのでこっちに。」

 

レストランを始めたばかりのころは、ガイレさんは一人でキッチンに立っていたそうだ。複数の店舗経営を始めてからは、直接インドからネパール人のシェフを雇い始めた。

「前は紹介も考えたんですけど、自分の目で見ないと信用できない…。」

「ネパールでもインド料理けっこうありますね。サウジアラビアとかジョルダン、カタール、ミドルイーストのとこは給料が少ないから、日本に行きたいという人もいるかなと思って。」

 

事業を拡大しても、レストランの質をキープするために彼はいまだにキッチンで仕事のチェックをしている。

「お店にいて、パッと見たら大体わかるんですよね。『ちょっとドライじゃないの?』とか『スパイス足りないんじゃないの?』って見たらわかる。だからすぐキッチンに入って、『こういう風に作ってください』って。あと、ナン作ってるときは後ろが黒くなったり温度がわからないのだったら、『こうやって作ってください』って教えることは結構あります。今は三鷹の新しいメニューを考えています。」

三店舗の従業員数は十四人。そのうち西荻窪店の従業員は三人だそうだ。

 

シタルでは日本人向けに、カレーの辛さを調整できるシステムを導入している。日本人の舌は味に対して繊細だからだそうだ。三店舗で同じ材料で作っているにもかかわらず、お客から「ナンの味が違う」と言われたこともあったと話してくれた。

「(普通のインドカレーの店で)直接頼んだら辛さ調節できない。辛さどのぐらいがいいか聞かない。日本人のために作ったシステムがこちら。手間がかかるんですけど。」

「インドの辛さが好きな人はスーパーホットですよね。ミディアムかホット」

インドでは、子供も二歳半になると親と一緒にインド料理を食べるようになるので、辛くても平気な舌が育っていくそうだ。

日本人向けに油分も減らしている。

「インドだどバター、油とかあるんですけど少し減らしてます。」

また、インドでは一般的なロティよりも、日本人からはパリッと柔らかいナンが好まれるそうだ。

「ロティとかも堅いじゃないですか。ここにはないんです。三鷹はあります。」

そのナンは、一日に十キロもの量を焼く。

「ナンが一番売れますね。」

 

使用する調味料は、全てインドから輸入している。直接ガイレさんが輸入するのではなく、日本の業者に依頼している。米などは一か月で五十キログラムほども使用するので、すべて業者に任せている。

「業者はたくさんありますね。神戸もあるし、沖縄のコザ、東京も西葛西に。いろんなところにあります。」

 

レストランには、ガイレさんの故郷の神々、ヒンドゥー教のヴィシュヌ神、ガネーシャ神、シヴァ神などが飾られている。輸入業者から買ったものではなく、ガイレさん自身がインドから持ちこみ、彼なりの工夫を凝らして店内に飾りつけている。しかし、日本のインド人とネパール人のコミュニティには参加していないそうだ。

「そんなに行く暇がない。自分のお店だとずっと時間がとれない。」

移民起業家として成功している彼の日々は多忙を極めている。しかし、自ら作り上げた彼のレストランが自らの起源である故郷になっているのであろう。

(ファーラー・ジェームス、木村史子、 川嶋 寿里亜 10月31日2019年)

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